最近職場で
意見が合わないことが
多くてイライラしがち
そんな毎日を過ごしながら
不意に浮かんだ言葉
その言葉を頼りに
考えた結果
やりたい事を
やらなくなった理由が
分かった気がした
幼い頃は
一人で過ごす機会が多くて
誰かに合わせる必要のない
環境でもあったから
わがままいっぱいに
育っていた
2年ほどは
母子家庭だった事もあって
昼間は母親の職場の近所にある
商店街が遊び場だったから
周りの大人にチヤホヤされていたから
まさにこの世の天国だった
当時はそれが当たり前で
そういうものだと思い込んでしまった
周りの大人たちは
聞けば何でも教えてくれた
例えば三輪車の乗り方とかを
教えてもらって
その通りにすると上手く乗れたから
信じる事が出来た
感覚的にはある日突然
母親の再婚を期に
全く環境の違う場所へ移住して
家族という人達と
一緒に暮らすようになったけれど
全く馴染めずに
ずっと元の家へ帰りたいと
言い続けていた
子供の心には
そこに居る理由が無かったから
ただ家に帰りたいだったから
そうさせてくれない
周りの人が嫌いになった
幼いながらも
我慢をしながら騙し騙し
過ごしていると
ストレスが溜まって
ある事件を切っ掛けに
家族に対して
いわゆるキレてしまった
ちょうど5歳の誕生日で
好きな物を食べさせてくれる言うから
憧れのビッグマックを食べたいと
言ったら違うバーガーチェーンに
連れて行かれたのが我慢の限界
ずうっと文句を言い続けていたら
今度は父親が怒り出して
いいだけ怒られた
その時の恐怖は
今でも鮮明に思えている
何でも好きな物を食べさせてやると
頼みもしないのに言われたから
素直に言ったら嘘をつかれて
コテンパン怒られた
理由が分からなかった
当時の田舎には
マックがないなんて知らないし
無いならないで
最初から無理だと言えば良いじゃないか
それをハンバーガーなら何でも良いと
勝手な解釈を押し付けられたのが
我慢ならなかった
ただでさえ嫌いな人に
嘘をつかれたのが決め手になった
罵倒と暴力のダブルパンチ
当然子供相手だからと
手加減はしていたのだろうけれど
家族になってから
まだ数ヶ月しか経っていないから
感覚的には知らない大人
そんな人にこんな仕打ちをされたら
恐怖を抱かない子供なんていないと思うが
どうなんだろう
ただ家に帰りたいと
願っただけなのに何故か叶わない
それどこか
ここが家だとみんなが言う
そんなの嘘だと思うから噛み合わず
子供と侮ってつかれた嘘を
許すことが出来ず
文句を言ったら怒られた
やりたい事を
誰かに話すと怒られる
それも尋常じゃなく
怒られるから
言うのをやめた
家に帰りたいと
願うのもやめた
考えると悲しくなるから
考えるのもやめた
なんでここに居るのか
そんな事
考えても仕方ない
思いついたことは
誰にも言わない方が安全だから
自分にしか言わないようにした
思えば独り言を言い出したのも
この頃かもしれない
楽しくても
悲しくても
誰にも言ってはいけないと
思い込んだ
それが生き残る方法だった
とりあえず命令を待つ
何も言われなければ
顔色をうかがいながら遊ぶ
だからつまらなかったんだと
今更ながらそう思う
保育園から小学校
中学から高校へ行ったのも
社会のシステムだとは思わずに
親の命令だと勘違いしていたから
「高校卒業したらどうするの?」と
聞かれた時は驚いてしまった
「エッ自分で決める?」
なにそれって感覚
やりたい事をすると
痛いからしないし
考えると我慢しなければならないから
考えないようにしていた習慣が
未だに残っていた
それが不幸を呼び込むとも知らずに
ひたすら幸せを捨て続け
不幸を集めるのが趣味みたいになっていた
そんな感覚を二十年以上掛けて
ようやく捨てられたのかもしれない
明らかに理不尽なことを言われたら
違うと言えるようになって来た
まだあの日のように
痛い目に合うのが怖くて
理不尽を受け容れて
しまった方が良い浮かぶから
イライラしてしまう
もう不幸を拾うのは
やめたから
怖くても受入れない
例え職場を失っても
もう心を失うのはゴメンだ