親子って

実は死ぬ間際になって

一番大切な事に

気づくのかもしれない


子供の立場だと

一番はじめに出会う世界が

親や家族

順調に幼少期を過ごせば

故郷にも愛着を持てるのだろう


その世界に居る事が

きっとその子供にとって

幸せな感覚になる


そうだとすると

子供が親子とか家族という

世界の一部の頃は

疑いもせずに自分が

何かの一部である事が

幸福感を生むんじゃないかな


でも大概の人は

思春期を過ぎた頃から

別の世界を

欲するようになる


異世界での生活が

気に入ってそのまま

行ったきりになる人も居れば

もう一度元の世界へ

戻る人も居る


親子が

大人同士になると

自立心なんかが

邪魔をして

一つにはなれなくなる

それでも気遣いを

覚えたから

本音は言わずに

上手く受け流したりして

家族を続ける


結局

社会ってそれを原型に

出来ていると思う

まぁそれは良いや


親や家族や故郷という

世界観は無意識の感覚だから

違う感覚の人はすぐ分かるし

似ている人も分かりやすい

だから興味を持てる

上手く行けば

それが友達になるのだろう


一緒に居ると

何だか良い気持ちになるから

求めるというのは

友人

知人

同僚

恋人

結婚相手など

とにかく人付き合いをしたくなる

理由はそれなんだろう


つまるところ

生まれた世界で

誰かを好きになれなければ

特別誰かを求めない人にも

なり得るのではないか

と考えている


思春期あたりで

クラスメイトと家族の話をすると

大概の人は

自分の家族を悪く言うから

当時の私は

その照れ隠しの言葉を

真に受けてどん引きしていた

余りにも感覚が違い過ぎて

誰かに自分の感覚を話すのを止めた


ただ彼らは

多分ご両親が亡くなる時には

心から悲しむことが出来るだろう

それは家族は自分の一部であると

感じているからだ

悲しくはあるけれど

失うのは一部分でしかない事を

知っているから

それほど恐怖心に支配されない


気づいた時にはもう一人だった


そんな感覚で

子供の頃を過ごしてしまったから

私の感覚では

私とそれ以外しか存在しない

それは

広い雪原の真ん中に

ポツンと一人で立っている感覚


何もない白い世界が

視界を埋め尽くしている


多くの人が

経験する幸福感を

多分知らずに育ったんだ

物語を読んで

起承転結すべてを

順番通り説明されれば

感動だって出来る

だから自分も人間だと

思い込んでいたけれど

いつの頃か

そうではないと思うようになった


振り返ると幼い頃

人間よりも動物の方が

多い環境で過ごしたから

家族という人間よりも

家畜に感情移入していた


家族は日常的に

暴力を振るう事は無かったけれど

虐げる言葉を

毎日浴びせられた

それが事実かどうかは

定かではないけれど

感覚的にはそうなんだ


彼らは

言葉を理解しない動物には

暴力的だったから

それがとにかく嫌だった

それでも

役に立つ個体には

優遇したりもしていたから

本気でその動物には憧れた


あの凶暴な人間に

暴力を振るわれないなんて凄い

どうしてなんだと観察し

子供心に役に立つと

暴力を振るわれないことを知った

と言うかそう思い込んだ


自己主張を止めて

我慢を始めたきっかけは

それだけ

たったそれだけの過ちが

社会不適合者への道しるべに

なってしまった


家族を敵とみなして

子供時代を過ごしてしまったから

彼等に対して共感できないし

危険という感覚を捨てられない


ただあの頃

温もりを求めては

家畜に抱きついていたのは

記憶にはない頃に

誰かの胸に抱かれた時の感覚

その安らぎを求めたからに

違いない


おそらく心のどこかに

親とかを認識する前の

感覚では人間に対する

安心感があるはずなんだ


だからこそ

かけ違えたボタンを

外してみようと思ったし

外す度にその感覚の断片のような

ものが見え隠れする気がしたんだ


年老いていく

両親と距離を取っている

それは

彼等の存在感が恐怖を呼んで

心がひらかなくなってしまうから

あえて会わずに過ごしている

そして今思うのは

両親に対して恩は感じている

それを感謝と言っても

もう違和感もない

だからこそ彼等に対して

嫌いだとも怖いのよとも

伝えない

それが私の親孝行

彼らの為になっているとは

思わないけれど

それしかできないから仕方ない


今一番怖いのは

死ぬ間際になって

昔話をされる事

その言葉に反応して

思わず彼らを

問い詰めて

しまいそうだから