好き嫌いで

生きているから

一旦嫌いになると

もうどうにもならない


一人で過すことに

嫌う要素がないから

自然にその状態に

なりたがる


それを好きと捉えると

誰かと過すことが

嫌いという事になるのか


多分そうではなくて

嫌いじゃない他人とは

一緒に居ても

そんなに嫌な気持ちにはならない


自分の感覚が

他人と決定的に違うのは

一緒に過ごした時間の分

親近感を憶えるという事が

ない事だと思う


その相手に対して

何かしらの

ちょっとした

我慢をしているから

時間が経てば経つほど

嫌いになる


その気持ちを

自覚してしまったら

もう我慢出来ない


結局

職場を転々とするのも

その環境にいる限界を迎えたから

行きたくなくなるだけで

また別の場所で

同じ事をするの繰り返し


だったら始めから

我慢しないで過ごせる環境を

見つければ良い


だから

働かなくて良いくらいに

裕福になりたい

もう職場という場所を

必要としたくない


そう思う一方で

楽しく過ごせる場所であれば

それが職場でも

構わないのだろうかという

疑問もある


すべての基準が

好き嫌いで判定するなら

好きになれば

その場所が職場であっても

良いのではないか


そもそも職場にいる事が

嫌いというよりも

何かしらの役割を

果たすのが嫌い


順番が違う

常に自分の感覚

気分で判断してしまうから

欲求を感じていないのに

何かをしなければならないという

状況になるのが嫌い


例えば

部屋の掃除をしたくなったら

しなければ落ち着かないけれど

どんなに汚いと思っても

欲求がなければやる気が出ない

職業が清掃員だから

職場に行ったら掃除をする

しなければならない立場だから

作業はするけれど

初めはやる気がない


でも掃除自体は好きだし

体を動かしていると

テンションが上がって

気持ち良くなるから気分も上がる

だから清掃員を続けて来れた


好きな事は

やる気にならなくても

やり始めれば

気分は良くなる

けれど

職場ではなかなか一人になれない

だからそこに誰かが居て

嫌いになってしまうともう駄目

行きたくなくなってしまう


体を動かすだけなら

スポーツクラブで充分

掃除がしたければ

自宅で充分

でもそれでは収入が得られない

だから職場へ

行かなければならない


行った事のない所へ

行くのは好きだから

人間関係をリセットがてら

職場を転々と変える

嫌なら辞めて次のくり返し

それ自体は好きだけれど

必ず次の職場が

見つかる保証がないから

不安になる

それが嫌い


嫌いな事からは逃げ出して

好きな事は繰り返す

その両方が重なりあって

これまでの人生がある

理由は分かったけれど

一体何を解決したいのか


落ち着いて暮らしたいだけ

好き嫌いの法則に沿って

すべての選択をすれば

安心して暮らせる環境へ

いつかは辿り着けるだろうか