運気の流れとは
気持ちを大切にするということ
毎日は選択の連続で
習慣になっていることでも
無意識に
そうすることを選んでいる
誰かと一緒にいると
楽に思えるのは
したくない決断を
相手にしてもらえて
迷わなくて
済むからかも知れない
ただ
いつも一緒にいる人が
自分の為になる
選択を選んでいるとは
限らない
子供の頃
当時はそれ以外の環境を
知らなかったから
辛いと感じていなかったことも
一人で暮らすようなると
急に無重力にでもなったかのように
気持ちが軽くなった
それまで
自分で決めるという
習慣がなかったから
決めてくれる誰かを
求めていた
職場に行けば
何かしらの指示をされ
それをこなせば良い
子供の頃と何ら変わらない
その選択が
不幸の原因だった
自分の気持ちや体調に
関係なく
誰かの言いなりに動くから
限界を超えてしまう
それは命の危険を伴う状況だから
心の安全装置が作動する
いわゆるキレる
そういう態度に現れて
「もう二度と元には戻れない」と
自分が思うように
そう思えるような酷い言葉や態度を
周りに投げつけては
危険な環境から逃げ出した
どうしていつも
仕事が続かないのだろうと
自分を責めた
どこへ行っても
長く続けることが出来ずに
駄目人間だと思っていた
周りの人や環境が
悪かったとは思わずに
自分が相手に迷惑を掛けたから
もう戻れないと
思い込むことで救われてもいた
誰のせいでもなく
自分のせいだから仕方がない
そう思うから今度こそはと
職場を変え続けられた
極端に人付き合いを
嫌うから
人の意見が聞けない
視野が狭くて
何かを変えるにも
どうすれば良いのか
分からずに
映画やドラマで観たまま
真似をして何度も失敗した
フィクションを
真似ても現実では
上手くいかない
少なくとも私には
出来なかった
バラエティを観たり
アニメを観たり
情報源がテレビだから
演出されてない現実では
なんかちょっとズレていて
振り返ると恥ずかしいことも
たくさんある
スマホで検索したり
何かしらのレクチャー動画での
情報を取り入れるようになって
ようやくしっくり来る
失敗が出来るようになった
失敗して反省して
修正をして再チャレンジをする
目的が明確なら
イライラして投げ出しても
次の日にもう一度拾って
チャレンジ出来る
自分がそういう性格なのだと
始めて知った
反復練習は
イライラの連続で
出来ない自分に腹が立ち
それでも
どうしても達成したいから
繰り返せる
少しでも前進を感じれば
後は自動的に反復出来るようになる
逆に続けられないことも
明確に分かるから
諦めるのも早くなった
まぁだから
転職を繰り返してしまう訳だけど
同じことを繰り返していても
納得が出来れば気持ちが良い
気持ちが前向きなのと
後ろ向きなのでは
まったく感覚が違う
やっていることが同じなら
気持ち良く出来たほうが良い
失敗続きの人生も
もうすぐ半世紀を迎える
何一つ成功しなくても
これだけの年月を
何不自由もなく過ごせている
それはもう奇跡だろう
成功しなくても
気分さえ良ければ幸せ
それが自分なんだから
選択を他人任せにしたら
そりゃぁ苦しいだろう
面倒でも
怖くても
責任取れって言われても
自分で決めたら
失敗しても痛くない
痛くなければそれで良いし
逃げ出しだって構いはしない
占いを読むと
運気には流れがあるらしい
その流れに逆らわずに
流されろと言うけれど
自分で決めないということは
例えば運気の流れを
列車に例えると
目の前の
列車に乗るか乗らないかを
決められずに
ただホームに
立っているような状態だから
何処へも辿り着けない
流れるままに
身を任せるということは
目の前の列車に
ただ乗れば良いだけ
あとは勝手に動き出す
ちょっとでも
気になった駅で降りて
一歩踏み出してみると
天国にも地獄にだって行ける
どっちが自分にとって
過ごしやすいかなんて
行ってみなければ分からない
まぁ大抵
良い事になんて出会いは
しないけれど
後になって思い出すと
面白く感じられるから
辛い時は
思いっきり苦しんで
耐えきれなかったら逃げ出して
あっかんべーして
また次の列車に乗れば良い
運気なんて
良いも悪いもないらしいから
気持ちの持ちようだろう
何かの反復練習の最中は
最悪の気分を味わう
それでも捨てられないものだけが
後に残るから
自分に必要なのは
その残り物だけだと思っていれば
自然と楽園に行けるだろう