ニュースを観ていると
改めて日本という国で暮らしている事に
幸せを感じる
中学生くらいで
バブルが弾け
氷河期に社会へ出た
確かに
与えられた幸せを失った
「そんなの当たり前」って
思ってたことが
当たり前ではなかった事に
気づいた時には遅かった
若くてしかも健康だったから
肉体労働が出来たのが救いで
社会環境の変化の波に飲み込まれて
一旦すべてを諦めたのに
今もこうして暮らしてる
とにかく努力が嫌いだった
カッコ悪いと思ってた
与えて貰うのをただ待っていた
子供のままでは生きられない
そんな現実を認めたくなかった
小学校を卒業すれば
中学生になれるように
勝手に人生は進むのだと思い込み
何かがあれば
ただ助けられるのを待てば良い
そんな幼少時代は帰って来なかった
三十歳を過ぎて
今が未来なんだと知ってから
怖くなった
何もなかった
残りカスの若さしか無かった
「どうする?」
自問しても答えはない
目の前の日常は不自由で
貧しかった
小学校の卒業文集に書いた
未来はどこにも無かった
有るのは自分を蔑む同僚と
それすら受け容れる自分だけ
蜘蛛の糸を探した
待っていても何も変わらないと
ようやく気がつき
「どうする?」の
答えを考え始めた
考える?
それはどうすれば良い?
何も分からなかった
そんな事をしたことがない
幼い頃は親が決め
先生が右と言えば左へ行くくらいで
一つも決断なんてしなかったから
やり方を知らなかった
仕方がないからは
最初は好き嫌いで選んだ
それも難しくて
例えば
バイトを辞めようにも
「お前なんてどこ行っても雇われない」と言われ
怖気づき辞められなかった
今ある物すら失うのが怖かった
自分に嘘をついて
他人の言葉に乗っかっても
いずれ限界は来る
特徴として
その振り幅が大きいらしく
徐々に衰弱するというよりは
ある日突然キレていた
振り返ると
自律神経の安全装置が
これ以上は無理だと判断して
感情を爆発させて
自分を守っていたのかもしれない
自分が自分の限界を
分かっていなかった
出来るできないではなく
言われるがままに動くロボット
まさにAIの原型
生身のヒューマノイド
もしあの時
心の安全装置が働かなければ
どうなっていたのだろう?
幸せになんて
なれる訳がない
自分が自分を知らないし
考えたこともないから
何が好きで嫌いなのかという
赤ん坊からのやり直し
高校を卒業してすぐに
一人暮らしを始めた
まるで宇宙に飛び出したかのように
心が軽くなった
その理由なんて考えなかったけれど
何となく日記をつけ始めた
実家のある田舎から
知り合いのいない都会での暮らし
それまで教室という
狭い空間に数十人が
押し込められていたから
誰かが話しかけてきて
自然とグループが出来て
何となくバランスを取りながら
集団生活を送り
ほとんどが面倒に思えていたけれど
今思えば
心の声をアウトプットする事が
当たり前に出来ていた
それが一人になって
それが心地良くて
心も軽くなったけれど
アウトプットが出来ずに
物足りなかったのかもしれない
日記を書くのは
楽しかったに違いない
何年も何年も書いたのだから
きっとそうなんだろう
二十歳を過ぎて
赤ん坊からやり直すには
案外良かったのかもしれない
後になって読み返しても
最初の日記は
当たり障りのないことばかりが
書いてあった
誰が読むわけでもないのに
悪口一つ書いていない
それが違和感として
認識したあたりから
自我が芽生え始めたのかなぁ
赤ん坊を卒業して
ようやく幼児へと進化して
下手くそな自己主張を始めた
それがキレるという
ある意味初めての自己主張
実際は幼い頃にも経験していて
その時に大変な思いをしたから
封印していた
だから主張する行為は
ただただ怖かった
カレーが食べたくても
周りがラーメンと言えば
それに合わせた
それは昔
ビッグマックを食べたいと言ったら
結果として
ぼろくそに怒られたという
苦い体験を思い出すからだ
やりたいというだけでは
やらない
抑えきれない衝動も
やってしまった後に怖くなる
例えばダイエット中に
食べ過ぎて後悔するような感覚に近い
けれどその感覚はもはや恐怖だった
衝動を抑えきれない
自分を責めるのが習慣になっていた
日記にはいつも後悔が綴られていた
ある時期
日記を読み返すのが
楽しくなった
そこに書いてある文章に
共感出来たのが嬉しかった
過去の自分が体験した事や
思いが書いてある訳だから
違和感がないし
普通なら繋がらない展開も
自分だから分かる
PARCOという
商業施設に入るまでに
半年掛かった
なにも入口で止められたわけでない
ただ単純に
オシャレな店員さんに
声を掛けられるのが怖かったからだ
喫茶店に入るのも無理
食堂も無理
でもなぜかスーパーやコンビニは
普通に行けたのはなんでだろう?
他人と関われないから
苦手も自分で克服しなければ
なにも出来ないから
やるしかない
ても怖いの繰り返しが
延々と書き綴られ
バカだなあ
アホだなあと
思いながら読み返していると
いつしか親近感が芽生えた
自分なんだから
当たり前なんだけれど
初めてそれを納得出来た
明らかな変化だった
以前の自分と今の自分の
違いに気がついた
出来なかった事が出来るようになった
その成功体験に勇気づけられた
今はできないことでも
どうにかすれば出来るようになるんだという
確信が次の段階へと背中を押した
ある意味
奴隷のような生活から
抜け出すために
一番苦手な場所へ
自分を生贄として差し出した
自分も成長できるという
確信を得た事によって
挑戦するという選択肢を
選べるようになった
氷河期の末期
今自分が出来る事で
まともな生活が出来そうな
職場を探したら
すすきのという
歓楽街のビル掃除の募集があった
イヤイヤイヤ
やっとPARCOに入れるように
なったばかりで
買い物も出来ていないのに
すすきのなんて無理
第一印象はそれだった
当時の自分にしてみれば
ヤクザ映画の世界観
きっと怖い人達しかいない街
でも募集内容がホントなら
週休二日で
一ヶ月暮らせる給料が貰える
それがもし本当なら
テレビ見るような
人間的な生活が出来るかもしれない
怖いけれども面接へ行って
採用されてしまった
一次面接
二次面接とあって
まぁ不採用で元々だからと
ある意味決まるまでは
気楽に面接を受けたけれど
いざ採用されると
不安で仕方なかった
学生服を初めて着た時
なんだか大人に近づいたようで
嬉しかった
学生服は学生の象徴みたいなものだから
逆に子供っぽい気もするけれど
当時はなにかこう誇らしかった
すすきのへの
初出勤日の日は
まさにそんな気持ちがした
すすきのの人たちは
人好きで
声がデカくて
予想通り苦手な人達だった
それでも募集記事にあった通りの
給料は貰えた
革命的だった
週に二日も休んで
一ヶ月暮らせる
しかも年2回のボーナスまで
貰えるという
それまでの生活では
あり得なかった事の連続だった
こんな世界が本当に存在するんだと
感動した
まるでテレビドラマの中へ
迷い込んだような気がした
それでも
いつこの生活が無くなるか
分からないからはと
自分を戒め
生活費は変えずに
生まれてはじめて貯金を始めた
猿が原人へと進化して
未来を考えられるようになっていた
考えるという事が
どういう事かも
分からないところから始まって
社会という環境に揉まれて
現実の体験から学び
育って行く
過去を振り返る度に
自分の成長を実感出来た
この頃には
自分が病んでいることも
理解していた
自分は普通ではない
他の人が
幼稚園や小学校で
出来るようになることが
三十歳を過ぎても出来ない訳だから
明らかにおかしい
でも
障害者としても
認められていないからどうにかするしかない
まだスマホに出会う前だから
過去の経験と
テレビや映画といった
フィクションを真似るしか
無かったから
大概のことは失敗する
それでも
貯金は続けた
将来とか
今の自分に足りないモノは
何かを探して
克服しようとした
どんな仕事でも
パソコンを使うだろうから
練習しようと決めた
それでも練習するにも
パソコンがないから
結局また貯金して買うしかない
別口座にパソコン貯金と
定期預金への貯金
今思えば非効率だけれど
当時はそうする他ないと
思い込んでいた
職場にあるのだから借りればよいのに
とは思うけれど
それが出来ないのが自分だから
結局
パソコンの練習をしようと決めて
パソコンを買うまでに
3年掛かった
しかもせっかく
パソコンを買うために貯めたお金も
地デジ化のお陰で
一度はテレビ代へと消えたから
なおさら時間を浪費するという
悪循環
日記を読みながら
どうしてここまで不器用なのだと
不思議になってきた
そう思うということは
また自分が変ったという事で
それがまた面白くて笑えた
何かが出来るようになると
それを実践したくなる
だから
仕事を辞めた
すすきのは居心地が悪かった
それは街のせいではなく
社内の雰囲気が好きじゃなかった
ようやく人間的な
生活を手に入れたのに
自ら手放すなんてと
何度も自問した
好きという感情は
すべての始まりだと思った
人も場所も環境も
好きだから手にしたいし
手離したくない
それまでの基準は
好き嫌いよりも
損得勘定をしていることに
気がついて
経済的な安定を手離して
精神的な安心を求めた
掃除しかしたことがないから
それにしがみついた
掃除はビルメンテナンス業なんだと
知ったから
そんな会社に行ってみた
三十歳を過ぎていても
雇ってくれはした
ただ清掃員にも
国家資格があるらしく
その試験に合格することを
条件に採用されてしまったから
しんどかった
試験と言っても
筆記試験は簡単だった
問題は実技だ
なんの気無しに作業をするのとは
勝手が違って
空手みたいな型を
覚えなければならず
それを制限時間以内に
行わなければならない
試験会場には沢山の試験員がいて
難しい顔をしたおじさん達の前で
作業をするのは
緊張以外の記憶がないくらい
緊張した
人前で何かをするなんて
ハードルが高すぎて
バーが見えない気がした
「だったら下をくくれば良いじゃん」
なぜか心に聞こえたその言葉が
気持ちを軽くした
そのお陰なのかは
わからないけれど
合格した
嬉しかったなぁ
それまで何となく清掃員を
やってた事が
資格という形になった事が
凄く嬉しかった
しかも
役にもたった
資格があるというだけで
信用して
貰えるようになった
思えばそれから
職場を転々とするように
なったんだ
社会人としての
経験が殆どないから
組織で働くという事を
分かっていなかった
彼らはとにかく
仕事をしなかった
何かあれば
それを押し付けてくる
新人だからと
受け入れていたら
キャパオーバーで
退職する
それの繰り返しで
資格の信用を半減させた
人の集まる場所では
自己主張が必要不可欠だけれど
そもそもそれが出来ないから
心の平穏を求めて辞める
正規雇用は
見つからないけれど
非正規ならまだすぐに
雇っては貰えている
それが現状
それでも今度は
世間の価値観が変わり
人手不足も相まって
しかも最低賃金も
毎年上がって
もうバイトでも生きていける
仕事を斡旋するアプリだと
面接もなしに仕事が貰えるし
もう一つの場所で
働かなくても良い時代になりつつある
年金なんて
加入する前から
貰えないと諦めていたのに
いつの頃からか
会社で加入させられて
払えていない数年間分も
加入期間の延長に伴って
まるまる四十年分は
貰えそうだ
スマホという
革命的なアイテムのお陰で
頭が悪くても
なんでも聞けば答えてくれる
アプリを手にすることができた
スマホの料金体系も整備され
動画や音楽
読書や検索も
一切合切まとめて
払えるから分かりやすいし
ネットバンクやら
QRコード決済とか
すべて一元管理ができる
投資だって出来る
最近の円安のお陰で
ちょっとした小遣いと
稼げた
子供の頃
何不自由のない時代に生まれ
いつの間にやら
氷河期へと突入し
奴隷のような生活も体験したけれど
それは結局
なんの努力もしてこなかった
幼い頃の自分のせいでもあるから
仕方が無い
感情が爆発して
誰かれともなく文句も言ったけれど
同じ世代でも
成功者はいる
コミュ症というのも
ハンデだと思ってたけれど
一人だから考えるようになったし
頼れなかったから
自分が変われた
自分がセロではないことを
知ることができた
たとえ0.1だろうが
ゼロじゃなければ成長できる
この国で暮らす限りは
それだけで生きていける
これまでもそうして
生かされてきた
与えられた幸せは
幸せになんて感じない
だから簡単に捨てられる
失って初めて
幸運を知る事が出来る
何が幸せなのかを
知ったから
未来に目指す目標が出来て
なんとなくでも
毎日そこへ向けて進んでる
たとえ
まったく価値のない
幸せも
自分の力で手にしたものは
決して手放すことは出来ない
多分
幸せってそういう事
価値を図る基準は
人それぞれだから
自分の尺度を知るのが大事
それが分かれば
もう不幸になんてなれない