幼い頃の日々は

どうだったかな

思い返してみると

幸せだったとも

辛かったとも

言えない


楽しかったこともあれば

辛く悲しかったこともある

ただどの年齢の頃に

戻りたいかと問われれば

もう決して子供には

なりたくない


その気持ちだけは

はっきりと自覚できる

大抵のことは迷うのに

これほどキッパリ戻りたくないと

思えるのは

やはり子供時代を幸せだとは

感じていなかったからだろうか


今の人生の目的は

快適に暮らすこと

緊張せず気楽に

毎日を過ごしたい

そう思うのは

幼い頃は常に緊張して

過ごしていたからだ


わがままで自分のことで

精一杯だったから

生活環境や人間関係が

変わっても関係なく過ごしていた

都会から田舎へと移住しても

まだその変化に気がつけなかったから

それまで通りの要求を

周りの人たちに繰り返していた


都会ではすぐに手に入る物も

当時の田舎では

手に入らないどころか

大人でさえその存在を知らない

なんてものがたくさんあった


知らないものを

しつこく欲しがる子供の姿は

周りの大人からすると

さぞ気味悪く感じただろう


それまで確かにあった物を

誰に話しても通じない

まるで幽霊が見えると

言っている様に扱われた時から

人には何を言っても

無駄だと感じたのかもしれない


寂しかったのかもしれない

確かにあった思い出に

すがりついて

この分からない毎日が終わるのを

待っていた


自分の問いかけに

答えてくれる人はいなかった

求めている答えは帰ってこない

だから自分で答えるようにした

一人だから会話にはならない

言葉はテレビや

周りの人たちの真似をした

会話形式で独り言を始めたのは

この頃だった


自分自身との交流は

とても便利だ

言葉足らずでも通じるし

分からないことも同じだから

ストレスもない

例え相手のせいにしても

それも自分だから

誰も傷つけないで済む


幼いながら

これで家族と呼ばれる人達と

上手く暮らせる方法を

編み出したと喜んだのは

覚えている


家族は世界の原点だ

その環境に合わせて

子供は成長する

自分たちには分からないものを

欲しがる子供は気味が悪かったろう

受けた教育も

暮らした環境や時代も全て違う

何も共有出来ていない存在


彼等からすると

跡取りの嫁が欲しかっただけで

子供はその後で良かったのに

一緒に来たのが不幸の始まり

当時の都会と田舎は

まさに異世界だ

田舎には都会にない物があり

都会には田舎にはないものがあった


育った場所で見聞きしたものが

全ての環境で

幼い子供が理由の分からない

物を欲しがれば恐怖しても

仕方がない

だから彼らとは一方通行の関係にした


言われたことを

全て受け入れるゲーム

感情を押し殺し

自分の中で処理をする

見た目は難しくない

家の手伝いをしろと言われれば

やりたくない気持ちを

押さえつけて作業をするし

学校へ行けと言われれば行くし

夏休みに親戚の家へ遊びに行けと

言われれば行く


決して不幸ではなかった

経済的にも恵まれていたし

毎日が辛かったとも

思っていなかった

それが当たり前だった


このゲームの難しい所は

感情と行動が一致しないことだ

やりたくなくても

やらなけばならない

そうしないと怒られたり

周りの人同士が喧嘩を始める

その煩わしさから逃れるために

感情を殺す

たぶん当時はそのほうが

楽だった筈だ

語彙力のない子供が

それを知らない大人に説明するなんて

叶わぬ夢だった

話さえ聞いてももらえないから

殺した


感情は湧き水のように

次から次へと湧き出す

魔法の泉だった


昨日殺したはずの感情は

次の日にはまた復活して

殺さなければならない

最初はこれが面倒だった


ルーティンでやらなければ

ならないことは

事前に分かっているのだたから

心の準備をすれば良いと

振り返ればそう思うけど

当時は無理だった

毎日やりたくない感情と闘う日々

エネルギー源は恐怖を使った

やらなきゃ怒られる

これは伝家の宝刀で

結局最後はやるようになった


感情のコントロールが

出来るようになると

周りの人たちも変化した

怒らなくなった

この成功体験が自閉の道を

切り拓く切っ掛けになった


人も物も現象も

自分以外は全て同じ

理解できる部分だけしか

使えない


感情はいくら殺し続けても

なくならないから

安心して人を裏切れる

人も魔法のように

次から次へと現れた


学校て通い始めると

「友人は誰?」という問いかけられる

機会が増えた

友人とは何かと先生に聞くと

家族のような存在と教えてくれた

なるほど敵だ

どうせそのうち攻撃してくる

あまり近づかないようにしようと決めた


「いつも一人で寂しくはないの」と

聞いてくる人もいたが

質問の意味が分からない

一人が当たり前で

誰かといるのが特別なんだ

誰かといるだけで緊張するから

落ち着くためには

一人になるしかない


感覚の世界で生きていると

歳を重ねる事に幸せが増えていく

子供の頃は体験が少ないから

極端な感情になったけれど

体験の数が増えるほどに

仲間が増えていく感覚というのか

分かる相手が増えていく 

自分の感情や感覚を擬人化してるから

思い出も独立した自分だ


いつな頃からか

そう思うようになって

心強く思える様になった

周りの人を観察しても

家族や友人に対して

こんな感覚なのかもしれない

と想像するようになって

もしそうなら理解は出来そうだ

とも思うようになった


無いものは想像するように

生きていた

自然の摂理だって

足りないものは創造してきた筈だ


もう二度と子供の頃には

戻りたくはないが

過ごした時間や体験は

嬉しいことも悲しいことも

すべて愛おしい

そのすべてが自分で

独立した人格を持っているし

今も心のなかで暮らしている


大概のことは

振り返ると楽しく思える様になるし

そのほうが今を幸せにするだろう

だから未来にだって期待出来る


裸で鏡の前に立ち

隅々まで観察する

太ったり痩せたりを繰り返していたから

肉割れがあちこちにある肌を見ると

愛おしなる


感覚の世界には

自分しかいない

青春と呼ばれる時期には

感情を殺し過ぎて

命まで奪われそうにもなったけど

そんな氷河期を抜けてみると

案外楽しく暮らせている


何を失って

何を守れたのかは

関係ない

どうすれば自分に

都合のよい解釈になるかが重要で

気持ちよくなれればそれで良い

毎日を快適に暮らすこと

それが一番大事