好き嫌いで生きているから

あえて嫌いなものには目を向けないが

その嫌いという感覚の原因は

なんだろうかと考えると

思いあたるその何かは

案外と心の奥底では羨ましく

思っていたりするもので


大概この人ズルいなぁと

思う人の事は嫌いだけれど

あれくらい自分の欲求を

他者へぶち撒けてみたいとも

思う気持ちもあるからズルいという言葉が

思い浮かぶのかもしれない


腹の立つ人と自分は

よく似ているといろんな人が言うように

自らの嫌いな部分を見ているようで

不快な気持ちになったり

もしくは羨ましい気持ちを抑える

そのストレスに苛立つのかもしれない


だったら素直に

その欲望を表現すれば良いけれど

なかなか実行に移せもしない

そのためらいはなんだろう


こうありたいという理想と

無意識に込み上げる感覚とのギャップを

上手く織り合わせられない


ただ思い通りにいかずに

苛立つ時などは

感情のままに声を張り上げて

押し通そうとしてしまう


そして落ち着くと

途端に後悔しては自己嫌悪


感情を上手くコントロールする術は

無いものかと考えた時期もあったけれど

完璧にコントロール出来る感情とは

もはや感情では無いのではないか

理性の塊はロボットと同じなのではと

捉えてまた自己嫌悪に陥った


ただ案外と機械的に

物事をこなして行くのは

気持ちが良く

毎日同じ順序で

同じコースを巡回する


それは陸上トラックを

ひたすら自分のペースで走り続ける

孤独な長距離走のような感覚で

一日のスケジュールを

オートマティックにすると

朝の目覚めが起点となり


起床すれば

何も考えることも無く

一日がエスカレーターのように

感覚とは無縁に進んで行く

映画フィルムが映写機の回転によって

物語が進行するように

夜ベッドへ入ると

Finの文字を最後に一日が終了


眠れぬ夜などは

まるで映画の余韻に浸るように

真っ暗な中でその日一日を

評論家ように解説したり

その物語について考えたりしながら

眠りに落ちる


感情を無くしたロボットには

なりたく無いと思う一方で

感情になど振り回されたりしない

強い精神を求めている


脚本通りの

オートマティックな日々では

まったく予想外な出来事が

火の粉のように

降りかかりもするけれど

それも退屈を埋める

刺激的なスパイスにはなる


プライベートも

仕事も

機械的に同じ順序で

繰り返すのが好きだけれど

ポンコツだから

何かしらの過程をすっ飛ばす


しかし少し後になって

アレッ忘れてない?と自問しては

そのまま素通りするし

こだわりの強い事柄なら

戻ってやり直したりと

一人でも阿呆は忙しいのだ


食べるものも

大概は同じ物を繰り返す

その頻度は太陽系の惑星のように

太陽を一廻りするのにかかる時間が

それぞれ違うように

朝食

ランチ

ディナー

休日と状況に合わせた食習慣を

それぞれの周期で繰り返す


朝食メニューは毎日同じ

カレーをハヤシにするくらいの

違いはあるけれど

食パン2枚とプロテイン

マルチビタミンのサプリメントと

ヘム鉄を食後に摂取して

コーヒーを2杯


コーヒーも

二種類常備していて

気分の良い時には

ちょっと高い方を飲む


仕事中のランチや

ディナーはマクドナルド一択

大概はエグチセットの

サラダとコーヒー

ポテトをずっと選択していたけれど

ダイエットの為にサラダに変えた


基本外食はしないから

休日も自宅で冷凍食品を中心に

激安メニューを買い溜める


最近のお気に入りは

冷凍炒飯に塩辛をのせて食べる

塩辛チャーハンか冷凍蕎麦に

何かしらのおかずを添えて食べる

自前の蕎麦定食各種


この2つの冷凍食品は

神が遣わし給うたエンジェル


とにかく安い

一袋炒飯が260円ほどで

そばに至っては一袋3玉入りで

210円ほどって凄くないですかと

独り言を言いながら籠に入れる

炒飯は2回に分けて食べるから

この二種類だけで

5食はイケるって神だろ


それらを冷蔵庫へ保管して

その日その日の気分で食べる


こうして書き出して見ると

ホントに惨めったらしく思う

納得もしていない

だから誰かにおすすめなんてしない

それでもその生活を続けるのは

全体のバランスが良いからだ


この惨めったらしい生活も

仕事の気楽さの為という意志があり

責任などというストレスを

手離して阿呆が一人で生活するには

この方法しか今のところ思いつかない


しかし自分の

駄目さを受け入れながら

美味しいと思える食事を探し当て

何となく毎日同じ作業を

機械的に繰り返す事の快適さが

すべての惨めさに勝る


一人が好きなのかは分からないが

ひたすらに続ける事が出来るのだから

自然に進んでいる感覚


もしも誰かと暮らして

子供でも授かれば

間違いなくその子には

こんな生活を

させたくはないのだから

心のどこかでは

不満が渦巻いているに違いない


しかしその不満ですら

向上心は連れて来やしない

不満足な生活でも

それに抗えるほどの

やる気も根気も湧いて来ないのだから

それほど文句も無いのかもしれない


自分を大切にするからこそ

スーパーで安くて美味い何かが無いかと

探し回り米が高ければパックご飯

それすら値上がりすれば

冷凍食品と何かしらの対応はする


それくらいの努力しか出来ない


生まれて来る事に

自由は無く

今のところ死ぬ事すら

自由に選べない


しかも幼い頃に

挑戦して無理だと悟り

どれほど辛い目にあっても

それが選択肢に上がる事は

無かったのだから

死に至るほどの痛みに比べれば 

これまでの辛かった道程すら

幸運だと思えていて


人生最大に喜べた日に

戻れるとしたらいつかなんて質問は

この阿呆な人生にはナンセンス


だってそうでしょうよ

そんな日はこれから起きると

ワンチャン狙って生きてるのだから

どこに戻っても

その後の辛い日々が待っている

やり直して努力すれば良いって?


馬鹿じゃないの?

それが出来れば今やるじゃん

やって無いんだから

どこへ戻ってもやらないし

自分がそんな阿呆だと知ってるから

これから進歩するであろう

未来の社会に期待してる訳で

過去に戻る事ほどの不幸は無い


結局のところ

気持ち良く日々を過ごせれば

何だって良いのだ

ストレスを抱えて得られる幸せなんて

どうせ持ち切れなくて自ら捨てる


好き嫌いを自覚出来なくても

根気やる気が無い上に能力も無い

そんな存在が

振り返れば続けている事があるのなら

それは間違い無く好きなはずだから

その感覚にしがみついて生きれば良いと

半ば投げやりに思う今日このごろ

しかしそんな人生も悪くはない