受験における過去問の重要性 ~その1 中学受験を題材に~ | 元エンジニア税理士のブログ

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受験における過去問の重要性 

私は45歳になりますが、その重要性を認識した

のはここ2年ほど前です。

 

私自身の受験においては、淡々と赤本

(当時は青本、黒本など)

を解いていただけで、その重要性を認識せずに

消化していました。

 

そのため、35歳から44歳まで続いた

日商簿記、税理士試験でも遠回りしたと

感じています。

 

令和3年、過去問軽視型の私の考え方が

変わったことで2つの合格を勝ち取りました。

一つは息子の中学受験合格(令和3年1月合格)

もう一つは私の税理士試験の国税徴収法合格

(令和3年12月合格)

 

その重要性を強調したい、受験で苦労している

人に届けたいとの思いから記事にしました。

 

特に、一つ目の息子の中学受験合格で過去問

分析の重要性を激しく痛感したことで、

そののちの自分の試験勉強に役立ちました。

 

息子の中学受験の指導で気付かされた過去問の重要性 

私が令和2年12月21日発表の税理士試験の

国税徴収法の不合格の直後、令和3年1月16日に 

受験を控えた息子の中学受験の志望校決定、願書

提出で塾の先生と面談した時にさかのぼります。

 

「正直にお伝えしますが、○○君の第一志望の

△△校の合格率は10%もないと思います。

 あえて厳しいことを言いますが、私が親なら

受けさせないと思います。」

 

自分の不合格発表の後にこんな事実を突きつけ

られました。

「息子は今まで本気でやっていなかっただけで

 受かる実力は必ずある。親だからわかる。」

「せめて息子だけは絶対に合格を勝ち取らせて

 やりたい」

 

そう思ったのには理由があります。

息子の志望校選びで、コロナ禍にもかかわらず

親子で10校ほども現地見学に出向き、

息子、私、妻の全員がダントツで「この学校に

行きたい、行かせてやりたい」

と思っていた学校でした。

 

そこから再加速したのが過去問分析です。

きっかけはその数週間前の12月初旬に併願先

として訪問した学校説明会で

その学校の先生に言われた言葉です。

(コロナ禍で見学会の中止が相次ぎ、なかなか

見学に行けず申し込みも溢れて直前になりまし

た。)

 

「過去問は学校からのメッセージです。

 それを読み取ってください。」

 

それからは、過去問分析にさらに力を入れました。

幸いにも塾も過去問重視だったので過去20年分

の過去問を配ってくれていました。

さらにB日程(難易度増)も数年分もらって

いたので、さらにメルカリで古い年度分5年分を

購入し、A日程20年、B日程10年分を一通りに

目を通して解いたりしました。

(私は中学受験をしていないので、解けない

 問題もありました)

 

さすがに30年分も見たり解いたりすると、

傾向が嫌でもわかってきました

数学に関しては、塾で頂いていた「中学受験

必須100パターン」のようなプリントを使って

それに似た問題、その学校が好きそうな問題を

ピックアップして徹底的に息子にやらせました。

 

過去問から、その学校、その出題者が聞きたい

こと、分かっていてほしいことなど、求められ

ているものなどを感じることが出来ました。

 

「問題を見て出題者と対話する」なんてことを

聞いたことがあります。

ただ、ここまで行くのには相当な努力が必要です。

 

まずの目標は赤本に載っている受験者平均点。

そして理想としては合格者平均点まで持って

いけるようにとことんやらせました。

 

1/16に受験がある家族に正月はありません。

土日もありません。

 

積み重なった努力の凄さ 

先に中学受験をさせた知り合いからの言葉です。

「中学受験は8~9割は親の成果」

その方は自分自身も中学受験を経験しており、

最近には自分の息子さんの受験に失敗した上で、

悔しくて仕方がなかったと自分に対して戒める

ように言っておられたので、逆にこの言葉が

頭から離れませんでした。

 

私も必死でした。

 

6年生の初めの頃の生徒と保護者の合同決起会で

その塾の校長先生(理科担当)に言われた言葉が

よみがえります。

 

理科の担当なので、理科らしい表現になります

と前置きした上で

「降り出してすぐの雪はなかなか積もりません。

 地面の熱で溶けてしまうからです。

 ただ、雪が降り続けることでその雪が地面を

 冷やします。

 冷えた地面にさらに降り続けることで雪は

 積もるのです

 皆さんもそんな努力を積み重ねてください。

 

ちょうど季節は冬です。

息子は毎日自習室にこもって勉強し、

わからない問題は必ず質問していました。

 

正月が明けた頃から、息子の実力が積もり

始めました。

過去問で合格者平均を取り始めたのです。

難易度の高いB日程の問題も解けるように

なりました。

 

いざ1月16日の本番は完全に出し切った様子

でした。

 

そして1月17日合格発表の日。

その日は自分の大学院の修士論文の提出期限

でもありました。

(ここでは触れませんが、これを並行したのも

かなりきつかったです)

朝11時に合否結果がネットで見れるように

なっていましたので10時頃に先に修士論文を

提出して気持ちを整えました。

 

その日は妻と息子で別日程の受験地に行って

いたので家には私と二男だけでした。

5分くらい前になると心臓がバクバクして

居ても立っても居られなくなったので

わけもなく洗い物とかをしてました。

 

そして11時、ネットを開くと

おめでとうございます。今回の試験の

 判定結果は合格です。

とリボン付きの通知が表示されました。

 

人前で泣いたことがない私ですが、

自然と涙があふれ、膝から崩れ落ちました。

 

自分の意思とは関係なく

肉体を支配するまでの達成感、安堵感が

襲ってきたのでしょう。

 

その後、別の学校の受験に同行していた妻に

伝えたときも号泣していました。

 

本気の後の涙の先にあるもの 

翌年、中学生になった息子と妻は「二月の勝者」

という番組を2人で見ながら思い出に浸って

いました。

 

中学受験、賛否はありますが

家族で本気で何かに挑み、泣けるほどのことを

積み上げられたのはよかったのかな、と思って

います。

 

「子供の学校選びは、その子が30歳くらい、、

 社会人として自立したり、家庭を持ち始めた

 頃などに、「あの学校に行けてよかったんだな」

 「行かせてくれた両親に感謝しないとな」と

 思ってもらえること」

違う中学校の見学で言われた先生の言葉です。

 

それを願って、中学生で反抗期の息子とぶつかり

ながら日々を過ごしています。