2026年の3月で15年が経過しようとしていますが、今もなお復興に向けての作業が続いている地域が存在しています。
今年の3月においらは浪江町を訪れいまだに残る爪痕を、実際に見てきました。
記録には残り続けますが、記憶は風化してゆくものです。
口下手なおいらが語ると、伝えたい内容がまとまらないので、下書き原稿をジェミニ先生に渡しまとめてもらいました。
🌊 3.11を忘れない:未来を守るために知っておくべき「東日本大震災」の真実
2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)は、私たちの暮らす日本社会、そして世界に大きな衝撃を与えた未曾有の大災害です。
ただの「過去の出来事」としてではなく、私たちが未来を生き抜くために必要な教訓として、この震災で何が起こり、今どうなっているのかを、高校生の皆さんが関心を持てるよう、わかりやすくまとめてみました。
1. 予兆と発生:なぜ巨大地震は起きたのか?
巨大地震のメカニズム
東日本大震災を引き起こしたのは、日本の東側の海底にある日本海溝で発生した巨大なプレート境界型地震です。
プレートの沈み込み: 地球の表面を覆うプレートのうち、太平洋プレートが日本列島側の北米プレート(あるいはオホーツクプレート)の下に沈み込んでいます。
ひずみの解放: この沈み込みによって蓄積された巨大な「ひずみ」が一気に解放され、マグニチュード(M)9.0という、日本の観測史上最大の地震が発生しました。
予兆はあったのか?
発生前には、M7クラスの大きな前震が数回観測されていました。しかし、これほど巨大なM9.0の本震につながると、当時の科学では予測しきれていませんでした。
この震災以降、地震学の研究は進みましたが、今なお巨大地震の直前予知は困難であり、「いつ来てもおかしくない」という前提で備えることの重要性が再認識されました。
2. 実際の被害:地震・津波、そして原発事故
被害が甚大になった要因は、地震動(揺れ)だけでなく、それに伴って発生した複合的な災害にあります。
① 津波による壊滅的な被害
規模と到達速度: M9.0の地震によって発生した津波は、東北地方の太平洋沿岸に押し寄せ、最大で遡上高(かけ上がった高さ)が40メートルを超える地域もありました。自動車並みの速度で内陸まで到達し、建物を一瞬で飲み込みました。
「想定外」の悲劇: 過去の記録に基づいて防潮堤が建設されていましたが、この津波はその想定を遥かに超えるものでした。特に多くの場所で、「津波はここまでは来ないだろう」という油断や避難の遅れが、被害を拡大させました。
② 福島第一原発事故
地震と津波によって、福島第一原子力発電所が機能不全に陥り、炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質が放出されるという、深刻な複合災害となりました。
この事故により、広範囲で避難区域が設定され、長期にわたる避難生活を余儀なくされた人々が今も多くいます。
被害の数字(警察庁発表)
死者・行方不明者: 2万2000人以上(関連死を含む)
全壊・半壊した建物: 40万棟以上
3. 終わらない余震と現在の被災地の現状
余震の活動
M9.0クラスの巨大地震の後は、余震活動が長期にわたり続きます。
震災から数年経っても、M7クラスの大きな余震が何度も発生しています。これは、プレートのひずみが解放された後も、周辺の地盤が不安定になっているためです。
「地震はまだ終わっていない」という意識を持つことが大切です。
現在の復興状況と課題
現在、被災地は大きく変わりましたが、復興は今も続いています。
インフラの再生: 道路、鉄道、防潮堤などのインフラ整備は進み、街並みは再建されました。
「心のケア」とコミュニティ: 仮設住宅から再建された住宅への移住は進みましたが、慣れ親しんだコミュニティの崩壊、長期避難による孤独感や精神的な負担は、今なお大きな課題です。
風評被害と地域の再生: 特に福島では、安全性が確認されたにも関わらず、農産物や水産物に対する風評被害が続いており、地域の経済再生を妨げています。
結び:皆さんが担う「記憶」と「防災」
東日本大震災は、私たちの世代が経験した中で最も大きな災害です。
この事実を「知っている」だけでなく、「教訓」として受け止め、「次は自分たちの街かもしれない」という視点を持って防災意識を高めることが、未来を生きる私たち高校生の最も大切な役割です。
あの日の記憶を語り継ぎ、備えを進めること。 それが、亡くなられた方々への一番の追悼であり、未来を守る行動につながります。
正直、人口密集地や都市圏では復旧が早いのに、人口の少ない地域の復旧は遅いです。
これは政府の対応の仕方に問題があるとみていますが、お金だけを予算として与えればよいという問題でもないような気がします。
ここ15年は政府は毅然とした態度を見せていません。
選ばれる総理大臣の信念や意志が弱すぎる結果でもありますよね。
他人の意見に流される総理ならいらないと思ったことも何回あります。
新しいものを作ることが大切なのか、もとに近い状態の戻すことが大切なのか、前政権までの政府は前者でしょうね。
大震災となった記録はたくさん残っていますが、記憶としてより多くをとどめている人は少ないかと思います。
覚え続けろとは言わないけど、時々でいいから思い出せる程度でいいので記憶に残しておきたいことです。
学んだこともたくさんある大震災ですから・・・。