そう考えているTKCです。
近年ではスーパーなどで短冊を書いて飾るコーナーなどが設けられているケースがあります。
実は毎年そんなこーなを見るのが楽しみだったりもします。
今年はどんな願い事がかかれているんだろうと。
そして、感じることは、どんなに切実な願いを書いてあろうと、まだ心の余裕を感じるということですね。
画像:写真AC
願い事を七夕の日に短冊に書き出せるということは、気づくことのない心の余裕の表れと考えることもできますしね。
日々を生きることに精一杯で、明日への希望すら見出せない状況であれば、短冊に願い事を書く心の余裕すら持てないかもしれません。
そう考えると、たとえ切実な内容であっても、願い事を文字に起こす行為そのものが、ささやかながらも未来への希望や、それを願うための心の余白があることの証と言えるかもです。
それは、人間がどんな状況でも、少しでも良い未来を信じようとする、根源的な力なのかもしれませんせん。
あくまでも、短冊について違う角度から考えると、こんなふうにとらえることもできる程度ということでお願いします。