おいらもそうですが人間誰だって良い評価をしてもらいたいものです。

勉学も仕事も人間関係も全てにおいて良い評価を得たいものですよね。

しかしながら、良い評価というのは、自分から追い求めていたのではいつまでたってもつかめないものだと考えています。

評価というものは 事物や人物の、善悪・美醜などの価値を判断して決めること。

自分以外から受け取るものなのです。

なので判断基準は自分以外の人間各々なのです。

例えば作品やアイディアの募集に応募して落選したという話を聞きます。

落選の通知でことを終了した企画先ならその程度と割り切って自分とは性が合わないと澄ましてもよいかと思います。

落選通知に理由も綴られているなら次への糧とし、同じ企画または類似の企画に成長した力で挑戦し続ける。

まずは、評価者の目に止まり少しでも記憶に強く残る作品を作ることが大事ですよね。

落選したからとネガティブにとらわれていたのでは、次なんて訪れません。

評価者の目の止まらなかった、記憶に残らなかったということはその地点で空気ですもん。

そこにあるけど、ないのと同じです。

それでもチャレンジを続け自分を信じ続けることができた人こそが、良い評価を得ることができると考えています。

すぐに良い評価を得ることができた人は、裏が必ずあると詮索した方が身のためです。

何かの事件に巻き込まれてしっぽきりなんてこともあり得る時代なので(;^ω^)

良い評価を得るには生い立ちなんて関係ないと考えてもいます。

結局のところ、努力を続けている人が得ているものなので(^^♪

ということは良い評価ほど時間が必要となるものと考えて行動していないと道を外す恐れがあるということですね。

と、最近のいくつかニュースからそう感じたTKCでした。