何気ない記事タイトルをつけてしまったTKCです。

だれしもがこだわりを持っています。

しかし、それは時間が必要となるということです。

そのこだわりにかける時間というものは完全に自己のものなので、個々に尺が違っても当たり前なのです。

早いけど悪い、遅くても良い。

さて、どれが最適解なのでしょうね。

料理なら、早いけど不味い、遅いけど美味い。

工作なら、早いけど下手、遅いけど上手。

勉強なら、早いけど浅はか、遅いけど思慮深い。

例を挙げればこんな感じです。

なんでも、中間でいられれば波風立たなそうですが、そんな人生は実につまらなそうです。

その人のこだわりに対して異議を唱える人は、しっかりとした対案を提示できなければ非常に失礼です。

ちなみにオイラは、中間位を行ったり来たりで、異議を唱えるときは対案を提示するように心がけています。

が、言ってもわからないような人には、早々に切り上げるか、無視をしています。

聞く耳持たずの猪突猛進な思考を持つ会話でいつまでも平行線をたどるくらいなら、時間を有効に使いたいですもん。

また、こだわりを持つということはある程度以上の世界観も持っているので、崩すのはやめましょう。

裁判沙汰になったら、結果が見えているので・・・。

と、話が変わりますが、愚痴程度にお考え下さい。

世の中、時短時短ですが、平成の初めころに推奨していたゆとりというものは、その教育を受けた人たちに自分だけのゆとりという形で影響を与え、他人を全く考えない形になりましたね。

そんな考え方を持つ若い上司が増えてくると、日本は昭和生まれを追い出すような社会構成になるでしょう。

簡単に言ってしまえば「自己優先、他全無関心主義」そんな感じでしょうか。

技術やそのほかのノウハウの継承は不完全のままで、今の自分ろ完璧と思い込みながら弱い企業へと堕ちてゆくみたいな感じです。

そうならないためのコミュニケーションなど、一切取ろうともしないです。

結果、日本は機械による生産に頼る比率が上がってしまうことでしょうね。

ゆとり教育受けた人の一部の中に、こういう人がちらほら見られますよという程度ということで(^_^;)

機械でなんでもできるのであれば、まずは膨大な政治・経済・社会のビックデータを専用のAIにぶち込んで分析して、日本の今後の運営方針を決めたほうが、将来的なコスト安で効率的な社会ができそうですよね。

話がそれそうなので、この辺で(;´Д`)