1対1、1対多数、多数対多数…。
状況次第ではいろいろですよね、喧嘩や戦争、誰かを陥れようとするときって。
漫画やドラマでも、9割くらいはそうです。
残り1割は何かっていうと、中立の人がいると状況が変わりやすい。
仲間を作って喧嘩をするときの定石として、自分の考えと近しい人を引き込んでおくことが初級です。
おそらく世の中に存在する喧嘩の8割くらいはこの程度ではないでしょうか(^_^;)
大抵の場合は園児でもわかりやすい態度を取る人が殆どで、当人は対象に避けられている真の理由など取る由もありません。
なぜそんな状況に陥っているのか。
それは、相手のことを自分が考えたように追い込みたいという、猪突猛進的で暗澹な愚考に陥っているからです。
簡単に言ってしまえば、自己正義が強い人ほど自分の考えにとらわれすぎていて、周りの人が接している態度の真意を理解していないということです。
さて、話を戻しまして、ここからはオイラの個人的な考えです。
1対1の喧嘩の場合、意外と長期化することは少ないかと思います。
当人たち以外は巻き込みたくないという考えが双方にあるので、喧嘩の真の理由も誰もわからないケースが多いです。
喧嘩中でも周りへの気遣いなどが出来ている場合も多く、一見は静かな喧嘩です。
しかし、短期激化する場合もあり、その場合は打ち上げ花火みたいな1発大ダメージが確認しやすいです。
双方とも心が強く、分かり会えれば強力な仲間になるケースも多いです。
1対多数の喧嘩は、正直言って多数側にまとまりがないケースが多いです。
なぜかというと、前述しましたが一人の人の意見に賛同しきれるかどうかが鍵になっています。
さらによくあるケースとして「あの人と喧嘩している最中だから、気にしないで」と上辺は1対1の抗争ですが、現実的には周りを巻き込んでいる1対多数の喧嘩と何も変わりません。
周りに静観しろと言った時点で多数派に強制的に巻き込んでいます。
これは1の人や第3者からみれば、静観しろ言われた人たちも顕な敵視対象です。
ということは静観を告げられた人たちって、完全に被害を被るだけの残念な人たちとなります。
何もしなくても、知っていてなぜと止めなかったと言われれば、意見に賛同した加害者になるだけです。
もうひとつのケースが「あの人と喧嘩するから協力して」というケースです。
まぁ、よほどの馬鹿でもない限りは協力しないと思われますが、求める方も求める方ですよね。
求められた方も損得を考えれば一生付き合ってもいいと思える人でなければ、馬部だけの帳尻合わせをすることでしょう。
そして、どちらのケースにせよ主犯格の人間は大抵は心が脆く弱いか、自分では気づけないくらいの偏見と自己世界観に囚われている場合が多いです
。
最後に多数対多数ですが、これは有名なケースとして報道されるレベルの戦争や抗争で学べるので割愛します。
ということで、内容的には喧嘩という悪いことをライトに綴ってみましたが、あくまでも個人的視点で綴っているのですべてのケースに当てはまるわけではないのでご了承を。
言えることは、多数派の主犯は長期化すればするほど、周りから見放されるということです。
上辺だけの付き合いになっていることにいつ気づくのかが鍵ですね。
いつの時代も主犯格は猪突猛進的で暗澹な愚考に陥っているというのは変わりないですしね。
ちなみにオイラは1対1で喧嘩している人たちが、真に強いと考えています。
TKC Sylphideのmy Pick