大阪城天守閣へ行ってきました。
大阪城の歴史を簡単に記します。
大阪城は以前、蓮如上人が建立した寺院がその後、要害堅固な石山本願寺となり、戦国時代宗徒と織田信長軍が約10年に渡り戦った場所です。天正8年(1580年)に信長に敗れ寺院は炎上し廃墟となりました。
豊臣秀吉は天下統一し居城を築くにあたり、要害堅固な石山本願寺跡を選びました。
天正11年(1583年)から15年、築城した豊臣大坂城ですが、秀吉没後慶長20年(1615年)大坂夏の陣により落城しました。
徳川2代将軍秀忠により元和6年(1620年)10年の歳月をかけて再築されました。幕府の西日本支配の拠点として大きな役割を果たしました。明治維新の動乱で焼失。
現在の大阪城は昭和6年、市民の寄付により天守閣が復興され、平成9年には国の登録有形文化財となりました。
このように、石山本願寺時代から昭和の天守閣復興まで数々の歴史を経ています。
今回、改めて大阪城の歴史を学ぶことができました。
パンフレットのゴールデンル-トに従って見学スタートです。
先ず、城の玄関、大手門からです。
城の入口から多くの人で賑わい、外国人観光客が半数は占めています。こんなに人出が多くビックリです。
大阪城は人気の観光スポットとなっています。
大手門(重要文化財)
城の正門で高麗門様式で徳川時代に再築されました。
つづいて大手門の左側に位置する千貫櫓がみえます。
千貫櫓(重要文化財)
大手門を北から防御する重要な役割を果たした二層の隅櫓。火縄銃の銃口を出して敵に狙いをつける「銃眼」があります。
千貫櫓の後方にダブルツリ-byヒルトン大阪城が見えます。
大手門をくぐり抜けると多門櫓があります。
多門櫓(重要文化財)
大手口桝形にある巨大建造物で、大手門を通る敵に上から槍を落とす仕掛け「槍落とし」があります。
また、門が現れます。
桜門(重要文化財)
豊臣時代にはこの付近に桜並木があったので「桜門」の名がついたと言われています。
門の後方に天守閣が見えます。
桜門の正面に豊国神社があります。
豊臣秀吉・秀頼・秀長を祭神とする神社です。
桜門をくぐると巨大な石の壁が現れ、蛸石とよばれています。
蛸石
高さ5.5m・横幅11.7m・約108tの大阪城一の巨石。左端にある模様がタコのよに見えることから「蛸石」という名の由来といわれています。
当時は巨大な石を重機もないのに、どうやって運び加工したのかビックリです。高度な技術力に感心します。
巨石を過ぎれば右側にミライザ大阪城がみえてきます。
旧第4師団司令部をリノベーションしショップやレストランが入っています。
本丸に到着。
正面に迫力ある美しい大阪城天守閣がドーンと建っています。
観光客がとても多く天守閣入場券売機まで、なんと20分待ち行列です。
つづく