ハワイ情報収集④ | MASAのつぶやき

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風に吹かれて根無し草

第二次世界大戦でアメリカ陸軍最強部隊と云われた

日系二世部隊 "第100歩兵大隊"と"第442連隊"の活躍と

多大な犠牲を払った実態は日本ではあまり知られていません。

 

 

 

現在、ハワイ オアフ島各地でこの日系二世部隊を描いた

映画「Go For Broke ゴーフォーブローク」の撮影が

行われています。

監督はステーシー・ハヤシ氏。

今年秋の公開予定です。

 

 

Go For Broke」とは"当たって砕けろ・全力を尽くせ"との

アメリカ日系部隊のスローガンとなった言葉であり、

アメリカに忠誠をつくす証しとなった言葉です。

 

 

 

 

4月16日(日)オアフ島ダウンタウンのイオラニ宮殿

「Go For Broke」の撮影が行われました。

 

 

 

これは1943年、日系二世部隊2500名の兵士が

イオラニ宮殿までの行進をした模様の撮影です。

 

 

                           日刊ローカルニュースより

 

 

 

 

第442連隊の名を不動のものとした

失われた大隊の救出作戦」があります。

 

先ず、第100歩兵大隊がヨーロッパ戦線に派遣されます。

1943年9月22日イタリアのサレルノ海岸に上陸。

サルレノからナポリ北方約60㎞にあるアリーフェまでの進軍で

約100人の死傷者を出しています。

その後、ナポリ・フォッジア作戦に投入され

初めて「バンザイ突撃」を行います。

 

第100歩兵大隊と合流した第442連隊は9月26日に

ナポリからフランスのマルセーユに渡ります。

 

 

10月24日 フランスビフォンテーヌ東方3㎞でドイツ軍に

包囲されたテキサス第一大隊211人の救出指令が出ます。

 

10月26日から救出作戦を始めた第442連隊。

森林地帯での前進は困難を極め「失われた大隊」のところへ

たどり着くまでに兵力が半減するほどの損害が生じました。

この救出作戦で211人を救出するために、

第442連隊は800名の死傷者を出しました。

(この救出作戦前に、すでに戦死行方不明約200人・

負傷者約1150人の犠牲を出しています)

 

この「失われた大隊の救出作戦」はアメリカ陸軍史上十大戦闘の

一つに指定されています。

 

 

この作戦で日系二世部隊はアメリカ陸軍のなかで

最強部隊と云われるようになりました。

しかし、この代償は大きなものでした。

 

 

 

 

 

 

第二次世界大戦中、日系二世部隊に授与された勲章は

第100歩兵大隊と第442連隊の総勢16000人で、

個人勲章は18143個と記録されています。

これは一連隊としてはアメリカ軍史上最大と云われています。

しかし、その勲章の数に比例するように戦死者は約700人、

戦死傷率は314%とという高率になっています。

この死傷率は、連隊兵士一人当たり平均3回以上も

負傷している勘定になります。

 

 

 

 

ダニエル・K・イノウエ氏

第442連隊所属の将校 ダニエル・K・イノウエ氏(1924年~2012年)は

イタリア戦線でドイツ軍との戦いで右腕を負傷し切断。

数々の勲章を受けアメリカ陸軍の"英雄"と称えられています。

また、日系社会でもその影響力が大きかった人です。

ハワイのセントラルパシフィック・バンクの設立者の一人でもあります。

 

戦後、日系人初のハワイ選出上院議員を

1963年から50年近く務めた民主党の重鎮です。

また、上院仮議長として大統領継承順位第3位という

地位でもあり、アジア系議員では最高位でした。

 

 

 

その功績を称えハワイ島にある道路

サドル・ロードと云われているR200が

2013年9月より"ダニエル・K・イノウエ・ハイウェイ"と

改名になりました。

 

 

ハワイ島

 

 

 

 

今年秋の「Go For Broke」の公開が待たれますが、

ハワイでの日系人の各分野での高い地位や

日系人が尊敬されている源流は

この日系二世部隊のアメリカへの忠誠心と多大な犠牲が

多分にあったからと思います。

 

そして、現在の良好な日米同盟の基も

この日系二世部隊の活躍と忠誠心が

大きく影響したと云われています。

 

 

 

また、日本人観光客がハワイ滞在中、人種差別を受けず

親切にされ、快適に過ごせます。

これも日系の方々がハワイ社会で血のにじむ努力が

あった恩恵と思います。

このことを忘れず感謝したいものです。