禁断の果実 | kazuのブログ

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目に見える世界は、次々と浮かんでは消え行く空を流れる雲のようであるが、その背景には、目には見えない風の流れや温度などの複雑な要素が絡み合う・・・

私たちが外界を見て、その善悪の追及に集中し続ける限り、その闘争は私たちの想像も遥かに及ばないレベルの操作によって継続し続けるだろう。
なぜならば、善悪という観点から生じる激しい闘争それ自体が、闇の時代を支配してきた存在達にとっての生存の糧なのであり、ゆえに永久に続けさせたいことだからだ。
遥か昔、その善悪という観点は、彼らからの私たちへのプレゼントであり、旧約聖書創世記ではそのことを『蛇にそそのかされたイブがアダムと共に禁断の木の実を食べた』という比喩で伝えている。

それ以来私たちは、この善悪という観点・判断(無知)を、自らの王としての地位に据え、本来王の地位であったはずのハート(全知・創造の源泉)をその足の下に置いたのだ。
ゆえに私たちは、本来誰もが持っていた力(創造性)を忘却の彼方へと押しやり、無知になった。

 

自分には望む人生・世界を創造する力が無いということを信じるようになり、代わりに権威にその力を預けて依存し、導き指導してもらう事を願ったのである。

すると、同じコインの裏側では他者を支配して力を得たいと願う人々が現れ、表側の人々に向かって『その願いに私が応えましょう』と言うのである。

 

ゆえに、私たちの間には絶え間なく分離闘争の火種が置かれ続けてきているのであり、そして現在にまで至っているのだ。

しかしながら今、光によって照らされた混沌の窯の中では、光による変性の過程を経ながら新たな認識が芽を吹き、新時代の基盤が静かに醸成されつつある・・・

 

本来私たちは皆、ハートを通して一つである。