その男は
地方の眼科医会の副会長だった
私は仕事でそこに通っていた
一応、70歳を過ぎても診療を続けているが
お金に不自由もなく
かと言って診療所を継ぐ子もいない
妻にも先立たれた
なので半ば惰性のように医師を続けていた
私は当時、若造で
自分の仕事に有利になるように
あわよくばこの男の立場を利用出来るように
愛想を振りまいていた
院長室に置かれた小さなテレビ
春の選抜の高校野球中継を眺めながら
先生に入れてもらったコーヒーを舐める
舐めると言う表現になってしまうのは
そのコーヒーがあまりにも濃いからだ
ゴクリとすれば脳幹まで痺れるような濃さ
ここに通いはじめて2年になるが
全く慣れない
今日もいつものようにコーヒーを舐めていると
先生が軽く腰を浮かせて
ぶりっと思い切り大きな音で放屁した
いくら私が、通いの業者の若造とは言え
なんて下品な男だと思ったが
私は何も言えずにコーヒーを舐めつづけた
すると先生がボソッと
「 濃いか? 」
そう聞いたので
「 はい、濃いです 」
私は思わず正直にそう答えた
先生は私のコーヒーにポットのお湯を足して
半分くらいの濃さに薄めてくれた
それでも充分濃かった
高校野球の騒がしい応援の音がしていた
私はその苦いコーヒーを
思い切ってゴクリとのみこんだ