ある日
井上は高速道路上で車を脇に寄せて
わずかに道の方へせり出している
名前も知らない木の葉っぱを手で千切り
その匂いを嗅いでみた
そのくらい井上にとって今の世の中が
あまりに理不尽で
時々、これはバーチャルでは無く現実なのだと
確かめざるを得ない衝動に駆られるのだった
青臭いだけの
千切った葉っぱの匂いは
辛うじて井上を現実に引き留めてくれた
親子代々育ててきた湾の牡蠣が皆死んだ
牡蠣は森が育てる
山に降った雨がミネラルを含み
小川となって湾に流れ込み
質の良い牡蠣が育つ環境が出来上がる
なので有名な産地はだいたい同じ様な
地形をしている
なんの科学的根拠も持たない
専門家と言われる輩が
テレビで牡蠣が死んでいるのは
気候変動で水温がどうのこうのと
適当な事を言っていた
だが牡蠣が皆死んだのは
山の上の方にあれが出来てからだ
いつのまにこんな山奥に
巨大なパネルを敷き詰めたのか
人間の欲と愚かさの塊がそこに鎮座していた
「 長時間のアイドリングを検知しました
環境に配慮して下さい 」
車が勝手に喋っている
みんな薄々わかっているはずだ
気候変動なんて大嘘だって事
だが人間の巨大な欲の前には小さな声など
森の中の枯葉一枚の様なものだろう
井上は己れの無力感にうちひしがれながら
手の中の葉っぱの匂いをもう一度
確かめた

