最近、NVCのことを考えていると「アルジャーノンに花束を」のことを考えちゃうことが多いのですが、
今日もオンラインで開催されたNVCの学びの会でまた考えちゃいました。
今日は、参加者の一人が
「『NVCでは謝らない』だよね~、やっぱり」
と言ったことから、NVCでは謝らないって?
が始まりました。
NVCだけでなく心理学的に、
その人の感情はその人のもの。
「馬を水辺に連れていくことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」
ということわざがあるそうですが、
誰かを怒らせようとしても毎回確実に怒らせることに成功するとは限らないし、
喜ばせようとしても同じこと。
そして、同じ出来事が起こっても反応は人それぞれ異なります。
それを「その人の感情はその人のもの」と表現しています。
そして、感情はその人の内側から湧いてくるものなので、
内側が変わらないと感情=反応も変わらないことから、
どんな出来事が刺激になったとしても、
それに対する反応はその人が「選べる」のだから、
その出来事(刺激)が別の人の言動だとして、
ある人が悲しんだり怒ったりしても、それはその人の問題なので、
別の人は謝らない、謝っても仕方がないし、謝る必要もない、という
説明でした。
私はこれを聞きながら、
「ボコボコに殴ってくる人がいても、
それは痛みを感じている人の問題なのだろうか?」
という疑問がわいていたのですが、それに関しても、
「IIT(国際合宿)がラスベガスで開催されていた時に、
集団銃殺事件が起こったことがあった。
その時、あるトレーナー(Robertと言っていましたが姓はわからず)が、
撃ったことは起こらなければよかったことだといえるが、
撃ったことで撃たれた人の身内、その報道を聞いた人の中で
生じたことはそれぞれの人の問題であって、撃った人とは別に考える必要がある」
と言ったそうです。
確かに、どういう感情が起こるかはそれぞれによるので
説明的にはなるほど、です。
そこでまた冒頭の「謝らない」にもどって、
言い出した人とは別の人(B)が、
「とはいえ、私たちはNVCじゃない世界に住んでいる/たことのほうが長いから、
そうじゃない文化を引きづっている。ある状況下で自然な気持ちとして
謝りたくなったら、NVC的ではない、と我慢するよりも
自分のニーズにつながって謝るのが逆説的ではあるもののNVC的なのではなかろうか」
と言い、
それを受けた最初の人(A)が、
「言っていることはわかるけど、僕が言っているのは、
『NVCだけで世界は回るのか』ということで、いまのところ
『回らない。特に集団には弱い』ということと、
『NVCは謝らない』と思っている。
と答え、Bさんが「集団だと回らないのは私も感じている」と返し、
「NVCは謝らない」に関しては平行線なのでウーム、という感じになった。
私もここでウーム、と思いつつ、比較しているものが違うんじゃないかと思った。
Aさんは100%NVCでいけるかどうか、を話していて
Bさんは今の文化の中でのNVCを話していたような気がしていて、
私はそこにC案、つまり全員がNVCを知っていて、現在の文化が廃れていたら、
NVCは100%で行けるのか、いけないのか、そもそもそれは可能なのか、というのが
あるんじゃないかな、と思っていた。
多分、マーシャルが目指しているのはBとCの間で、できるだけCに近づける、
もちろん可能であればC案、なんじゃないかなぁ、と思っている。
私は、いまは「めざす」だけど、そのうちNVCが当たり前になったら100%になれるのかも?
と楽観的な希望を持っている。
全員が自己共感がある程度できていて(80%とか?90%とか?)
共感のチャージ(充電)が足りていれば、
他者共感もしやすいだろうし、お互いのニーズを満たすことを
お互いが目指していて、そんな人ばかりだったら、かなりいいところにいける、
かなりいいところどころか、理想郷が成立するのかも、とも思ったり。
ここで「アルジャーノンに花束を」がでてくる。
私が最近考えているのは、
「NVCでは8000年前は、今のような支配階級や貯蓄する、
だれがたくさん持っていてだれの資産が少なくて、
ということがなく、もっと厳しい生存状況だったかも
知れないけれど、少なくとも助け合わないと生きていけないので
人々はほかの人と調和の中に生きていたのではないか、
という考えを持っている(んじゃないか、と私は思っている。
私が今まで読んだNVC本にはそこまで明言されているわけではない)。
これがアルジャーノンの最初のIQが低い状態だとすると、
今はIQは高くなったけど生きにくい状態で、
幸福度も低くなって辛いので、
元に戻りたい、と言っている状態。
IQなんか高くなくていい、
便利じゃなくても効率的じゃなくても、
いつでも食物に困らない、という状態にならなくても、
人々が調和の中に暮らしていたあの頃に戻りたい。
そして、アルジャーノンが元の状態に戻った時、
周りの人はこれでよかったのか、と思う。
いま私はNVCを学んでいる途中なので、
時々この「知らなかったら幸せだったんじゃないか」
みたいなことを考える。
アルジャーノンの場合でいったらIQが天才レベルになったとき、
一種のピークの時かな、と思う。
どちらも見えて、どっちが幸せか、を考えた時に、
ピュア度が上がる、というか、純粋、自然、本物である、みたいなのの
度合いが増える状態、つまりアルジャーノンのIQが低い状態、
(NVCの純度が高い状態)が幸せなんじゃないか、と気づいて、
だんだん物質社会ではなくなり、
人口も減ったりして、8000年前の状態、
あるものを食べて、共有して、分け合う文化に戻る。」
なんだけど、今日の話で言ったら、
NVCが「集団で回らない」だったり、
「謝らない」とわざわざ言うのは、
まだアルジャーノンのIQが高いままだからで、
IQが低い状態、つまりNVC人口が増えたら、
回るんじゃないか、と思ったり。
どうなんでしょうね~。
こればっかりは答えがわかるほど長生きしないと思うので、
まったくの机上の論なのですが、
最近よくアルジャーノンのことを考える機会があるなぁ、と
思ったのでここらでアウトプットしておこうと思って書き記しました。