多数決について考えていて、うまく書けないんだけど、多数決を使いつつも全員が大切にされるには、ということを考えていた。
それに関して、こうだったらいいんじゃないの?というのがでてきたので、ちょっと書いてみます。
ほんと、書いてても説明できている気がしないのだけれど…。
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グループの中で言葉としては、同じ意見を発する人といえども、ニーズが同じとは限らない(例えば、「あの人の話長かったわよね」)。
同じニーズを大切にしている人もいるかも知れないけれど、違うニーズも持っていて、同じ言葉で言っていても、それがどうだったら良かったのか、という話をしたら、「それぞれが求めているもの」は微妙に、または大きく違うこともある。
けれども、コメントとしてまとめた時に内容が同じように見えると同じ意見として取りまとめられて、それが多数決を重んじるグループだと全体としての意見になり得ることがあるなぁ、ということが1つと、
もう1つ、大勢が言っているからってそれが正しいわけでもないよね、というのがあって、
そこにさらに3つめの「ただ、大勢が言っているとそれがそのグループ内での道徳観になることはあり得るよね」
ということについて考えていて、そもそも多数決ってどうやって発生したんだ?と検索していたらたまたま見つけた高1の男性が書いた文章の
「彼(ジャン-ジャック・ルソー)は、『全員一致の合意を目指した人物』として知られている。(中略)彼は、全一致のルールの中で多数決の方式を認めると取り決めておけば、その後の決定は多数決でも構わないと考えている。(つまり多数決はルソーの前からあったんだな)」
からのかなり飛んでのこの人の「多数決の正当化」というのがあって、それが、そういう風にすり合わせると短い時間で全体にとって良い方向に行きそう、と思った。全文を読んでほしいからあまり引用したくないんだけど、いきなり多数決をした後に話し合う、という方法を提案していて、その話し合う焦点がうまい!と思った。
最近読んだ(聴いた)本の中の、「ガラス容器の中にジェリービーンズがたくさん詰まっているとする。100人が推測した数の平均値は正解か正解にかなり近い。国の数宛精鋭が数人で会議して1つの答えを推測したらほぼ確実に当たらない。推測する人数が多いとその平均値は正解に近くなるのに。つまり、いろんなひとがいたほうが、正解に近くなる可能性が高まる」みたいな箇所があって、この、「まず他人の意見を聞かずに答えを出す。その後その結果を使って精度を上げるために話し合う」感じが、「大勢が推測するバージョンと精鋭が話し合って推測するバージョンの掛け合わせみたい」と思って、すごいな、この子、と思った。
そうそう、余談になるけど、ホールケーキを子どもたちが切り分ける時にどう切り分けたら公平さが保たれるか、という話を聞いたことがあって、
① じゃんけんでもくじでもなんでもいいので、切り分けたケーキを選んでいい順番を決める
② 切る人は一番最後に残ったケーキを貰う人
という内容だった。
こうすると、その場にいる子どもたち全員が一番大きいケーキを手に入れたい、と思っていたとしたら、一番最後にもらう子ができるだけ全部のケーキの大きさがおなじになるように切るから、という発想だった。
この高校生が書いた「多数決の正当化」で言っているのとこれも似ている気がする。
(この順がわかりやすいと思ってこう書いてみたけど、実は多数決について考えた時の私の頭にうかんだのは、発想的には逆ルートで「道徳観ってどういう風にできるのかな」とかを考えていて、はたっと「多数決っぽいものか?でも、全員が同じことを言ってるわけじゃないよね?」⇒「ああ、でも言葉として出したものが同じまたはかなり似通っていると同じ意見とみなされるのか?」というところからきたこと。どっちがわかりやすいのか、どっちもわかりにくいか…?)
(上述の最近聴いた本はLeft Brain Speaks Righ Brain Laughs)