「新――」と銘打っておいて時代劇! この発想が尋常じゃない。誰だって続編だと思うし、それを期待するはずです。気になりますよ。「月が‥‥!!」のそのあとがどうなるのか。
だけど、描かれたのは、まったくの別世界。その別世界が滅んで、過去に時間跳躍して歴史をやり直す。そしてしばらく読み進めるうちに気付くのです。これは少年マガジン掲載版『幻魔大戦』(以下、マガジン版)の続編じゃない、「エピソード1」なのだと。お時が歴史を書き換えた、その結実が、マガジン版『幻魔大戦』の世界なのだと!

 

丈!? 丈? 丈とは誰だ? 何者なのだ!?
意識がささやく。丈とはお前だ……おれが丈だ……おれは不滅なのだ……おれは過去・未来を通じて生き続ける。おれには巨大な使命がある……大いなる使命が……。


丈とは誰だ?
――劇画ノベル『新幻魔大戦』より。こうして同じキャラが描かれると、この漫画の画調が「劇画」であるということに、あらためて気付かされます。

 

でもでもでも。いや、ちょっと待ってください。マガジン版『幻魔大戦』=「エピソード2」の世界って、結局滅びちゃうわけですよね? ドクロ月の接近になすすべもなく。アンハッピーな結末が、完結する前から決まっている物語。なんだか、すごくむなしくないですか? でも、のちに空前のブームを巻き起こす第二次幻魔大戦の作品群が未来に待っていることを知らない、当時のオンタイムの読者にとっては、まさにそうだったはずなのです。

※第二次幻魔大戦
小説『幻魔大戦』、『真幻魔大戦』を始め、1979年から80年代にかけて発表された平井和正の幻魔シリーズを総称して、ワタシはこう呼んでいます。(括弧内は初出年)
第一次:幻魔大戦[漫画](1967)、新幻魔大戦(1971-1974)
第二次:幻魔大戦[小説](1979-1983)、真幻魔大戦(1979-1984)、ハルマゲドンの少女(1983-1984)、ハルマゲドン(1987)
第三次:その日の午後、砲台山で(2004)、幻魔大戦deep(2005)、幻魔大戦deepトルテック(2008)

 

teabreak ~ オンタイムの読者が味わえた感慨 ~

オンタイムの読者といえば、ワタシのような(アニメ幻魔から入った)後追いの読者には、ちょっと彼らが羨ましいと思えることがあります。
お時が旅立つとき、ベアトリスは彼女にこうことづけます。
 
「そして、わたしのおかあさま、プリンセス・ルーナによろしく」

プリンセス・ルーナによろしく
――劇画ノベル『新幻魔大戦』より。引用した科白は小説版のもの。こうして並べると、若干の差異が見られます。

この伝言は『真幻魔大戦』で、ムーンライト(=お時)からリア王女に降霊したルナへと伝えられます。
 
「プリンセス・ベアトリスよりあなたさまによろしく、との伝言でございます。わたくしはそれをあなたさまにお伝えするために、長い長い時を待たねばなりませんでした」
――『真幻魔大戦』「ビッグ・プロローグ」より

「新」から「真」を続けて読んだワタシのような読者には想像するしかありませんが、オンタイムで読んでいた読者には、感慨深かったでしょうね。もう、たまらんかったでしょう。あの平井和正が尾田栄一郎ばりに数年越しの伏線を張って、それを見事回収したのですよ!


そもそも、過去へ跳ぶことで滅亡する世界から逃れ、同時に過去からやり直す。そのアイデアだけなら、マガジン版『幻魔大戦』のストレートな続きでもできたはずなのです。クライマックスで集ったエスパー戦団のもとに、お蝶がやって来ればいい。キメラで合体するわけにはいかないにしても、サンボ(ソニー)のように、身体に触れていれば一緒に跳べるということにすればいい。
過去の世界へと跳んだ東丈たちの新たなる冒険と戦い……充分ありでしょう。マガジン版『幻魔大戦』の続きを望んだ読者からすれば、求めていたのはまさにこういう物語であったはずです。しかし、平井和正はそれに肯んじませんでした。思い付かなかったとは、ちょっと考えられません。そういう選択肢をあえて採らなかったのだと、考えるべきでしょう。それは多次元宇宙という概念のもとに展開される、第二次幻魔大戦の作品群を見れば明らかです。作品世界も作者の意図も、まさに一筋縄ではいかなかったのです。

 

teabreak ~ 「新」で語られる「旧」キャラ ~

『新幻魔大戦』には、「旧」――元祖・マガジン版『幻魔大戦』の登場人物は、ひとりも登場しません。それでも、名前だけは出てくる登場人物が、前述の東丈と、プリンセス・ルーナのほかに、もうひとりいます。
 
このティグリノ神父ほど低劣な人物もまた珍しかったであろう。このイカサマ師の血筋から、後にドクター・タイガーなるとんでもない人類の裏切者を出すことになるのだが、さほど不思議でもないようであった。もちろんこれは余談である。
――小説『新幻魔大戦』より

ティグリノ神父
――劇画ノベル『新幻魔大戦』より。

残念ながら、正雪とシルヴァーナのまぐわいをティグリノ神父が窃視するこのシーンは、漫画として絵だけで表現されてしまったために、この「余談」は小説版でしかお目にかかることができません(笑)。そりゃないわ、石ノ森せんせい! ココ重要ですよ。文章だけでも入れといてほしかったなぁ。
ちなみに小説『新幻魔大戦』は、小説『幻魔大戦』のように、のちにノベライズしたものではなく、劇画ノベル『新幻魔大戦』の原作原稿そのものです。漫画『ウルフガイ』(絵・坂口尚)と『狼の紋章』『狼の怨歌』の関係に同じです。そのことは「あとがき」に記されています。
 
 私はマンガの「幻魔大戦」をエピソードとして含む、さらに大きなスケールの〝ハルマゲドン・ストーリー〟を構想し、石森氏と協力して「新幻魔大戦」に挑んだ。森優編集長は〝劇画ノベル〟なる面白い呼称を考えだしたが、原作が完全に小説として書かれ、劇画とはいえ、文章の占める比重が非常に高かったからであろう。
 しかし、本書にまとめたのは、〝劇画ノベル〟とは異る、原作の小説そのものである。決してノヴェライゼーションではない。

――小説『新幻魔大戦』「あとがき」より

それにしても、ドク・タイガーって、つくづく悪漢として愛されキャラなんだと思います。

 

「エド一九九九年」という舞台設定が秀逸です。エド・メガロポリス――廃藩置県がおこなわれなかったことを思わせるこの都市の名称だけで、この世界が単に(発表当時の)未来であるというだけでなく、我々がいるこの世界とは異なる歴史をたどった別世界の日本だということがわかります。すなわち、パラレルワールドです。
幻魔は圧倒的に強く、勝ち目はあまりにも乏しい。それでも、世界は数多に存在しており、何度でもやり直し、何度でもリベンジする機会が与えられる。その設定をこの時点で提示しているのです!
つまり平井和正は、「エピソード2」で終わるわけじゃないよ、「エピソード3」「エピソード4」だっていずれやるよ、そのための今は時代劇なんだよ、という青写真を『新幻魔大戦』を始める段階で構想していたと思われるのです。恐るべし、というべきでしょう。

この壮大にして稀代の発想力。和正、おそろしい子! 天才なんて安っぽい言葉では語れない、ストーリーテリングの巨人ですよ。ただ、この巨人は、スケールがデカ過ぎて、あまり小さいことは気にしないんですよね(苦笑)。
石森章太郎と組んだ劇画ノベル『新幻魔大戦』が「SFマガジン」に連載されたのが1971年~74年。その後、79年に小説『幻魔大戦』と『真幻魔大戦』が始まります。こうしてあらためて時系列にすると、そのブランクの短さに驚きます。『新幻魔大戦』の連載期間とたいして変わらないんですね。このさほど長くない期間に『悪霊の女王』執筆に苦しみ、教団開祖著「悪霊」に感銘を受け、その後継者との知遇を得、彼女の教団に関与します。そして、『人狼白書』でアダルトウルフガイがぐれんっと変化を遂げる。
同様の変化は、第二次幻魔大戦の作品世界にも及んでいました。御存じ「幻魔と戦うには超能力しかない」から「心を光で満たせば幻魔は怖くない」への質的大転換です。
普通、ここまで根本の概念が変わってしまったら、完全新作、別の作品にしますよ。平井和正がそんなノーマルな作家であったなら、ワタシたち読者がかように悩み、嘆くこともなかったでしょう。でも、そんな作家に幻魔大戦は書けなかったし、ワタシもこれほどに魅了され、夢中になり、こんな一文を書くこともきっとなかったのです。


2017.02.11 初出 サロン・ド・GENKeeeeN

2020.02.18 再掲にあたり改題・加筆・一部改稿
2022.04.15 再掲にあたり再編集

2022.04.16 大幅加筆・一部変更
2022.04.19 一部変更