■8.30 12:00~14:00 19:30~21:00 渋谷ギャラリー・ルデコ
傑作の条件は、ワタシの場合ハッキリしています。鑑賞をリピートしたい欲求に駆られること、それに尽きます。この間の朗読劇『苦情の手紙』がまさにそうでした。もう一度、この作品が観たい。この日、2度観ているにも関わらず、そう思わせる『農業少女』は、まぎれもなく傑作なのです。DVD化されないことが、惜しまれます。
我々は作品を所有することに、あまりにも馴れ過ぎました。映画はすぐにDVD化され、テレビ放送でさえ私的に保存できる。が、今回の劇団アロッタファジャイナ公演は、ビデオ撮りされていません。したがって、DVDの発売もない。ライブでしか観ることはできず、そして全公演は終了しました。もう二度と観る機会はないでしょう。だからこそ、自分のなかに混沌と渦巻いている、この作品の記憶、想い、考察を整理し、文章というメディアにとどめることで、ワタシなりにこの作品を保存・所有し、もはや満たせぬ欲求の、いくばくかの慰めとしたいと思います。長々とあらすじ説明が入ったりしますが、それでもよければお付き合いください。
「都市農業の会」なるセミナーから、物語は幕を開けます。我々観客をその受講者に見立て、主催者の都罪(つつみ)が演説を行う。開演前に「都市農業通信」なるチラシまで配る、芸の細かさ。ワタシなど小道具とは思わず、てっきり真面目にその種の団体が絡んでいるのかと、ろくに読みもせず、他のフライヤーといっしょにしまってしまいました。一読すれば、オカシな中身がすぐにわかったのですが。
そこへ客席から野次をとばす受講者のひとりが登壇し、都罪の悪行を告発しだします。彼の名は山本ヤマモト(劇中でその名乗ってしまったので、そういう役名なのです)。ヤマモトは拳銃を都罪につきつける。それは愛する少女をかどわかし、人生を狂わせた男への復讐であると同時に、同棲し深い関係を結びながらも、結局は利用され、愛されることのなかった男の、彼女が愛した男への嫉妬に狂った凶行でもありました。
都罪とヤマモトは、互いに自分しか知らない少女との関わりを告白します。少女に愛され少女を利用した男と、少女を愛し少女に利用された男との間に、自分の知らなかった少女――百子(ももこ)のピースが埋められていく。百子に関わる二人の昔語りによって、物語は展開していきます。
満島ひかり演じる百子は、九州とおぼしい農村に住む15歳。田舎暮らしに嫌気がさし、ちょっとした冒険気分で家出を試みる。それは、電車賃の持ち合わせすらない彼女には、まったく本気でないゴッコ遊びに過ぎませんでした。だが、植物学者のヤマモトとの出会いが、百子の運命を変える。百子に一目惚れしたヤマモトは、東京までの電車賃を肩代わりしてしまう。自身の目的地である広島で、ヤマモトは百子と別れますが、東京で百子と再会したことで、彼女に自宅に転がり込まれてしまう。こうしてヤマモトと百子の、奇妙な同棲生活が始まります。
>>>大都会・東京での百子のハシャギっぷりをあらわすように、リッキー・マーティンの「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」に乗って踊りまくるシーンが強烈な印象に残っています。ちなみに自身のブログによると、DANCEの振り付けは満島ひかりの創作。
>>>強烈な印象といえば、同棲生活を象徴する満島ひかりの着替えシーンは外せません。ブラウスとスカートを脱ぎ去り、下に着ていたノースリーブに短パンという部屋着に替わるのですが、これが艶めかしくって。上に書いている「ギャラリー・ルデコ」という会場は、文字通りギャラリー=画廊です。もとより演劇用のスペースではなく、ステージの段差もなく、最前列で足を伸ばせば、演者が躓いて転びそうな至近距離。こんな間近で、ひかりさまがこんな格好に・・・。たまらん。たまらな過ぎます。ハ、ハナ血が・・・。
百子との夢のような同棲生活が続く一方、ヤマモトは彼女がイルカ愛護だの、アフリカ飢餓難民救済だの、次々と胡乱なボランティア活動にハマっていくのを不審に思っていました。それらのボランティア活動に、男の陰を嗅ぎ取っていたからです。
実はその男とは、すべて同一人物。最後に「都市農業の会」を立ち上げ、それも解散して「都市党」を旗揚げ、政界に出馬しようとしていた、あの都罪なのでした。そもそも都罪は、東京行きの電車で百子が出会った男であり、はじめから彼女をカモにする目的で、接触したのでした。
>>>そのことに、なぜ観客が気付かないか? 同じ役者が演じているのに? これは演劇ならではのお約束を逆手に取ったトリックでしょう。というのは、特にこうした小舞台においては、役者の役の掛け持ちが行われるからです。『農業少女』は4人舞台です。主な配役は、百子、山本ヤマモト、都罪、東京ドリームガール(例によってこういう役名。都罪の女相棒)の四名ですが、登場人物はこれだけではありません。たとえば百子の実家の場面では、都罪が百子の父を、東京ドリームガールが母を、ヤマモトが叔父を演じます。役者は同じでも、役は違うんだよ、という演劇における了解事項です。このことが、一人の役者が演じる各ボランティア主催者が同一人物=都罪であることを認識させないというわけです。
すべてのピースが埋まったとき、物語は破滅的な終局へと雪崩れ込みます。百子のボランティア活動への傾倒は、ひとえに都罪への献身にほかならず、ヤマモトとの同棲は東京での生活基盤として利用されたに過ぎませんでした。都罪が「都市農業の会」を組織し、新種のエコロジー米「農業少女」の計画を打ち上げたとき、百子は狂喜します。彼女にとっては根元的なコンプレックスであった、農家の出身であることを、活かせる機会が訪れたからです。しかし、ひとを騙し、金を儲けることが目的の都罪には、実際に「農業少女」を生産する気はさらさらありませんでした。それを知ったショックで、百子は耳は聞こえるにも関わらず、人の声だけが聞こえない身体になってしまいます。
>>>ヤマモトには感情移入し、そして身につまされましたね。相手がひかりちゃんということはもちろんありますが、女ってやっぱり、キモい善人より、ワルい男のほうが好きなのかな~と(爆)。
逃げまどう都罪をヤマモトが追う。倒れた都罪の頭に銃口を向け、ヤマモトは引き金をひく。その頃、九州の田舎では、実家の田んぼで、百子は買う者もいない「農業少女」の苗を植えている……
(完)
浜村淳の映画紹介のように、結末まで語ってしまいました。浜村淳と違って、公演は終了してるんで、まあいいでしょう。こう書いてみると、本当に救いのない話ですね。でも、基調はコメディで、楽しい舞台であったことは、付け加えておきます。
記憶を頼りに書いているので、ディティールに間違いがあるかもしれません。あらかじめ、お詫びしておきます。特に関係者の方に。いや、こういうのを書くと、けっこう関係者が検索して読みに来られるんで。mixiは怖い。
ひかりの舞台にハズレなし。その実績をまたひとつ加えた『農業少女』でした。単にひかりたん萌え~ッだからでないことは、上のレビューでご理解いただけるのではないかと思います。無駄に気合いの入りすぎた長文にお付き合いいただいた奇特な方には、この場でお礼申し上げます。
最後に余談ですが、舞台終了後、ひかりさんにご挨拶させてもらいました。これがまた嬉しくて。帰りはウキウキして、腰の痛みも忘れてしまいましたよ。ひかりの笑顔が、最高のクスリさ。キャハ☆☆☆
初出 mixi