◆「野性時代」1982年1月号初出
【この巻の主な出来事ダイジェスト】
・東丈がいない!? GENKEN上層部を震撼させる事態は、一般会員にも知れ渡っている。不安を口にする河合康夫を田崎宏はたしなめる。そこへ白水美晴が現れる。
・美晴はセミナーのことを木村市枝に教えてもらったと云う。美晴の婀娜っぽさに閉口していた田崎だったが、彼女の必死さに打たれ、講演を聴くようにすすめる。田崎は杉村由紀と平山圭子に美晴を紹介し、圭子に会場への案内を頼む。

【メモ】美晴には四歳になる子供がいる。十七歳で出産。
・圭子の田崎への想いを見抜いた美晴は、敗北感を抱く。自分を穢れた女だと卑下する美晴を圭子はきびしい語気で諭す。だが、辛い経験も自分で選んで生まれてくるのだという圭子の言葉に、美晴は烈しく反撥する。圭子は精神感応により美晴の陰惨な過去を追体験する。
・田崎と話す杉村由紀は心身ともに憔悴しきっている。東丈が日本を離れるのではないかという由紀の憶測に田崎は動揺するが、そんな自分を恥じる。由紀を心配した田崎は、東京に戻った彼女に市枝を付き添わせること、そして東三千子に相談することを思いつく。

【メモ】前巻、笛川医師、松代直子の前で消えた黒人幼児について、由紀は「昨夜、ソニーという黒人幼児の超能力者が来て、先生と話し合ったようです」と口にしている。
・パネリストに内村・竹居、松岡・井上を招いての幻魔研究発表。井沢郁江は幻魔とは宇宙の巨大な負エネルギー、邪悪の意志であり、その小さなヒナ型がだれの心にも存在すると説く。郁江はそれを“偽我”と呼び、自らの“偽我”と対話し、その怨み、憎しみを解きほぐしていった過程を経験談として話す。
【メモ】発表で郁江は五歳で家出をしたエピソードを語る。その家出の際、若い女の人に逢ったことを竹居の質問で思い出す。内村はその女の人は、今の郁江ではないか? 郁江の意識が時間と空間を超え、十二年前の五歳の自分の前に現われたのではないかと発言する。
・郁江が話を幻魔に戻そうとした矢先、無断でストロボをたき、カメラ撮影をするトップ屋・風間の出現が場内にショックを与える。塾生に取り押さえられた風間は、郁江に叱られ、おとなしく云うことをきくが、マスコミ記者に聴講を許可するという越権行為に、杉村由紀がどう思うかと圭子は懸念を抱く。
・郁江は風間やこっそり講演を聴いているホテルの従業員ら、部外者にもわかりやすく、幻魔とは何か、どのように幻魔が攻勢を仕掛けてくるかをレクチャーする。竹居は質問の挙手をし、まるで東丈先生と郁姫様は意識が連動しているようだと語る。内村は先生の波動をよりよく受けるためにはどうしたらいいのかと質問し、それに郁江はそんなことは先生がいつもおっしゃっていることだと厳しい語気で答える。

【メモ】竹居がそもそも何を質問しようとしていたのかは、結局わからず終いであった。
・郁江は内村の質問に答え、代理人として先生の身になって考え、行動することに尽きると説く。郁江は会員たちのその自覚の無さを糾弾する。重苦しい沈黙を破り、内村が反省の弁を述べる。悲痛な自己告発は、場内の雰囲気を悔悟のカタルシスで覆ってしまう。続いて竹居が謝罪の言葉を叫ぶと、聴衆は次々に告白に参加しようとし、混乱状態に陥る。郁江は研究発表が失敗したことを自覚するが、プログラムを反省研修に切り替える。
【メモ】内村君は何より、それで郁姫の発表の腰を折ってしまったことを大いに反省すべきだと思う。
・ロマンスカーの座席でも杉村由紀の心は、東丈の失踪、それに乗じた郁江の専横ぶりに鬱々と苛立ちを深める。由紀の想念は郁江批判に向かって集中する。それが嫉妬であることに気づき、由紀は愕然とする。
・新宿で木村市枝が由紀を迎える。しかし、それを煩わしく思う由紀は、高輪の自宅ではなく、渋谷の事務所に向かうという。渋谷道玄坂で市枝は、背の高いサングラスの男に不審を覚える。
・平山ビルのエントランスで野沢緑が姿を見せ、外交辞令的な挨拶を交わす。秘書を辞め、セミナーについて尋きもしない彼女に市枝は腹を立てる。市枝が去っても由紀は書きものに身が入らず、会長執務室の長椅子に身を横たえる。由紀は性夢を見る。若い頃から繰り返された若き神との至福の官能の夢は、若き神に化けた淫魔のそれにすり換わっていた。
・冷汗にまみれ、由紀は目を覚ます。戸口に久保陽子が立っていた。郁江あての電話が立て続けにかかっており、相談にきたという。別室に去った少女が、目を伏せたまま一度も目をあわせなかったことに、由紀は身震いする。トイレで後始末をしながら、体の深部の異常な快美感に堪える。秘書室に戻った由紀は、羆のごときものを見た錯覚に立ちすくむ。高鳥慶輔であった。
・渡米の挨拶廻りに忙しいという高鳥は、立ちくらみを起こした由紀に抗う隙を与えず、異語を呟きながら目に見えぬものを引き抜き、ほうり投げるジェスチュアをほどこす。由紀は爽快感を覚え、賛辞を口にする。異次元の吸血蛭が巻きついており、それを取ったのだという。高鳥は別れ際、由紀に関わるいやな予感……由紀の身に暗雲がまとわりついているのが霊視できると告げる。

【メモ】この時点の高鳥はまだ、アメリカに行く気マンマンでした。それがどう事情心境が変化していくのか、要注目です。

東丈が退場しました。これはやはり大きなことで、「幻魔大戦」が「幻魔大戦」たる大きな拠りどころである原典・漫画『幻魔大戦』の主役にして、メインキャラ四戦士の最後のひとりが、とうとういなくなってしまいました。ブランドンがL.A.を去ったビバリーヒルズ青春白書。安倍なつみ、飯田圭織が卒業したモーニング娘。いやいや、そんな実例では云い表せない。アダルトウルフガイに置き換えれば、「白書」でノリはまるで変わってしまったが、さらに犬神明まで消えてしまったようなもの。
幸い、幻魔シリーズには色々なバリエーションがあります。『真幻魔大戦』なんて、それこそベガが出てきましたし、本人ではありませんが小角という過去世の東丈も登場しました。原典漫画の娯楽活劇のノリを受け継いだコミック『幻魔大戦Rebirth』という新作も、後進のクリエイターの手で創られています。
幅広いレンジを持つ幻魔シリーズですが、この小説『幻魔大戦』は、際立って特異、特殊な性格をもつ作品だと思います。それは幻魔シリーズの枠内に留まらず、これほど一人の死人も出ず(1~3巻を除く)、SF要素、アクションに乏しい作品は、他の平井和正の作品すべてを見渡しても、ちょっと見当たりません。まさに平井文学の極北です。
平井和正の作家人生でもきわめて特異な一時期、ひとりの女性教祖とその教団に傾倒した、その悔恨、反省、それでもなお捨てきれぬ真の救世主に寄せる希望……。作者自身、迷い、惑い、揺れ動きながら、答えを探し求めた。その経験と葛藤を原液のストレートさで投影し結晶化したのがこの作品です。
神格化された東丈というキャラが退き、「代替わりした少女」がGENKENを継いだことで、物語はより作者の実体験に即した、「宗教ダメ小説」としての本領を発揮していきます。
敵は幻魔のみにあらず。最も信頼し、力を合わせねばならないはずの仲間を、リーダーを疑わなければならないとしたら……? 物語はさらに重く、暗い、出口の見えない迷路へと突き進んでいきます。

 竹居と内村が熱狂的に拍手し、塾の松岡たちも張り合うように大きな音を立てて手を叩いた。対抗意識にはどうしても払拭しきれないものがあるようであった。

……とまあ、深刻ぶった書き方しましたけどね。ところがこれが、むっちゃおもろいんですよ。見てくださいよ、この郁江信者同士のむき出しのライバル心(笑)。この先も郁江の秘書グループ(「宮内庁」と陰口を叩かれることになります)の内幕が描かれることは残念ながらありませんでしたが、彼らが一枚岩であったはずがなく、≪姫≫をめぐる人間臭い角逐を演じていたのだろうなあと伺わせます。
この作品を愉しむ素養って、人の悪さかもしれませんね。え、ワタシだけですか? シツレイしました。

箱根セミナー二日目、井沢郁江の幻魔研究発表のスピーチは、6節から17節に渡って描かれ、実にこの巻全体のほぼ半分を占めています。なかなかの長尺と思われた、あの東丈のクリスマス講演会の演説でさえ、7巻のラスト、12、13節のみであったことを考えると、いかに空前の描写であったかがわかります。小説とは一冊で終わるもの。その制約から解き放たれたとき、いかに表現というものが自由になるかという実証です。
全国の内村君、松岡君に贈る、大サービス。郁姫オンステージをノーカットで! ワタシはそこまで郁姫LOVEな信徒ではありませんが、それでもこの長いひと幕は好きですね。まるで自分も参加者のひとりになって、箱根セミナーのプログラムのひとつを省略の無い同じ時間をともに過ごすライブ感は、わくわくするひとときでした。

講演内容については、あれはあくまでも「井沢郁江のケース」であって、あのように“偽我”と呼ぶ心のしこりのようなものを明確に人格化し、対話し、そして説得するというのは、そのまま真似をすることはワタシにはちょっとできません。それでも、自己客観視の習慣というのはついていて、安っぽく劇的な感情に駆られてしまいがちなネットという環境で、「このボケ、しばいたろか」と頭に血を上らせてるワタシに、「できもしないことを口先だけで弄ぶんじゃない、みっともないよ」と冷静なツッコミを入れる、もうひとりのワタシがいるのは、この作品から学んだことが、少なからず生きているのだろうと思います。

 その異様な集団の生理的な波動は、郁江にねばっこくまつわりつき、湿ったタオルで、体表をくるみこまれたように窒息感をすらもたらした。感傷に陶酔するのは、生理的な快楽に等しいと郁江は思う。この強い催眠力を持った情動の磁場にさらされて、感傷に流されないのはよほどの変り者に違いない。
 人々を自己告白と悔悟の涙の嵐のような磁場に巻きこむことは、甚しく危険が伴っているような気がして、郁江はやはり好きになれなかった。場内は異様などよめきに満たされている。聴衆がすすり泣いているのである。なんとかしてやめさせなければ、と郁江は思った。こんなのは嫌いだ。泣いて浄化のカタルシスに酔うなんて、やっぱりまともじゃない……


強い影響力を持つことと、場の空気を意のままに操ることとはまったく違います。自分の影響力は、自分の望まぬ方向へ働くことがある。その典型的なケースですね。
前巻の夜間ランニングの涙の懺悔大会再び。今度はさらにスケールアップしています。「奴隷は奴隷らしくしたらどうなんだ?」(13巻)という高鳥慶輔のどストレートな鬼畜外道ぶりだけでなく、善良なGENKEN会員たちのていたらくも容赦なく物語は描いています。“人間悪”をまやかしの“根源悪”にすり替えた、なんて仰った読者がいるそうですが(11巻「あとがき」)、いやいやいや。人類ダメ小説はまだまだ健在、絶賛継続中ですよ。

なかなか前途多難、というよりちょっと絶望的というか。目的(幻魔の脅威から地球人類を護る)を達成するための方法論が本当にこのままでいいのか、根本的に考え直したほうがいいんじゃないのかとワタシなら思いますね。
(これは先の話になりますが)もしかすると井沢郁江は、GENKEN会員――ひいては人類ひとりひとりが自覚を成し遂げる、そんなことは不可能だと、見切りをつけたのかもしれません。それよりも、自分のような自覚を遂げた者が行使する“力”、乗り物として組織の強化拡大を図るようになったのではないか。そんな考えがここまで書いてふと頭をよぎりました。

「僕も、先生や皆さんに奉仕するといいながら、いつも恩着せがましい根性を持っていたことを告白します! これだけ一生懸命やっているんだから、先生にもみなさんにも認めてもらうのは当然だ……そんな卑しい根性が心に潜んでいたことに今やっと気がつきました。内村君のいう通りです! 僕は何もかも最初からやり直さなきゃいけません! 僕は自分の愚かな思い上りを皆さんの前で告白し謝罪します。どうもすみません、許して下さい!」
 竹居は頭がテーブルにぶつかってごつんと音を立てるほど平身低頭してみせた。彼が真剣であることはまぎれもないが、郁江は噴き出すのを必死に堪えていた。


当の郁江先生はこの調子です(笑)。ワルいひとだなあ。まあワタシなんて堪える必要もなく、ゲラゲラ笑ってますけどね。でも、笑ってばかりもいられない。ここは非常に重要なポイントです。郁江は会員たちの態度、会場の雰囲気にはっきり批判的であるにも関わらず、その本音は隠し、プログラムの進行を優先させていることです。本来の、というか以前の郁江なら、「ちょっとあなたたち、おかしいんじゃないの?」と云ってしかるべきではないでしょうか。
むろん、以前とは立場が違います。東丈というキングにくっついていたフール(道化)であった頃と、自ら組織を背負って立たなければならなくなった今と、同じではいられません。そんなことを云おうものなら、ますます収拾がつかなくなるのは眼に見えている。彼女の態度は大人としても、立場的にもまったく正しかったと云わねばなりません。
それでも、誠実さを欠くという点は否めません。この作品の読者なら、それをキレイごと、などとは仰いますまい。まさにそのキレイごとを実践し、実現していこうというのが、GENKENという集団なのですから。
実際、このように大仰で芝居がかった懺悔をしてみせたところで、何も変わりはしないのです。それが証拠に、竹居に続いて立ち上がり、悔悟の涙に暮れた夏本幸代など、次巻ではそんなことなど忘れたかのように、ケロッと元に戻っています。声高なこれ見よがしの反省、信用に能わず。それはワタシだけでなく、多くの大人が人生の経験智として、わきまえていることではないでしょうか。
己れの本心を隠し、弟子の不徳に目をつぶって、その場をつくろう。――批判的に状況を眺め、笑いを堪えている郁江の姿は、一見いかにも彼女らしいように読者の目には映ります。しかし、そこには重大な、それも悪しき兆候を看て取ることができます。
そういう反応をするんだ? じゃあこういう操縦をするわよ。その関係は、まさにワルい教祖とバカな信者の共依存、そこいらの宗教団体の有りさまそのものではないでしょうか。

GENKENの長の重責から、杉村由紀は逃げました。杉村由紀のアメリカ行き、井沢郁江の秘書室リーダー代行、それはあくまで東丈が日本に留まることが前提です。その前提が崩れた以上、「GENKENそのものをあなたに任せることはできないわ。アメリカには行きません。私が会長代行を務めます」そう宣言することだって、杉村由紀にはできたはずなのですから。

あるいは、杉村由紀が郁江の筆頭秘書になる。そんな選択肢もありました。杉村さんのプライドが許せばですが……。それを申し出られた、郁江の顔が見てみたいですね。そんな平行世界、時間線があるなら、その後の道行きもまた違っていたかもしれませんね。
東丈失踪のショックで、そんな発想すら浮かばなかった、というのが実際のところでしょう。しかし、無意識のうちに、そんな恐ろしいことを彼女は忌避したのだと思います。
それを自ら引き受けた、郁姫のその意気やよしです。しかし、そこにも陥穽は掘られていました。本巻のサブタイトル「幻魔の標的」、深いですね。
まあ、もっともっと長~い眼で眺めれば、こういう経験と失敗を積むのも、彼女の今生におけるエクササイズということになるのでしょうけど。

 胆を冷やす恐ろしい考えが突如として生じていた。
 東丈が不可解になったのは、彼自身の心に奇怪な侵蝕が始まったせいではないのか……東丈こそ〝幻魔の標的〟として熾烈な攻勢の前に立たされているうちに、均衡の狂いを生じ始めたのではないのか。


すっかり負の連鎖にはまり込んでしまった杉村由紀さん。明日渡米する彼女の都合を考慮して、午前に繰り上げた郁江の研究発表も見ることなく、渋谷へ戻ってしまいます。心身ともに疲労は極を超え、木村市枝の出迎えばかりか、東三千子の訪問の知らせすら疎ましく感じてしまうほど。
そして下り坂を転がるように彼女のネガティブ思考は、ついに東丈へ疑念を抱くに至ります。

そうではない。由紀の疑惑が間違いであることを我々読者は知っています。東丈が真実どうであったかを物語は描いており、それを読者は神の視座で見てきたからです。
これから描かれる、GENKENの盟主の座を継いだ井沢郁江には、それが描かれません。前段で取り上げた懺悔大会を見つめる郁江の目線や思惟。そういった郁江主観の描写はセミナー後影をひそめ、客観的な外側から見た彼女の科白と振る舞い、それに人づての情報でしか、彼女を見れなくなります。それは東丈と接する杉村由紀の立場と同じです。
今度は読者が、井沢郁江というリーダーに対して、杉村由紀と同じ立ち位置に置かれるのです。もしや彼女は、幻魔に侵されているのでは……? 信じるべきか、疑うべきか。物語は恐るべき問いを読者に投げかけます。杉村由紀が味わった疑惑を、迷いを、苦悩を、今度は我々が体験することになるのです。つくづく、途方もない小説だと思います。真面目に郁江を好きなひとや、心優しいひとにとっては、むしろ辛い展開でしょう。じっさい性悪だなと我ながら思いますが、ワタシはこう思うのです。「面白い」と。

 数名の恐ろしい男たちのイメージが、圭子の心をよぎった。変質的で凶暴な波動が、その男たちのイメージからやってきた。全身が氷結し、異様な悪寒と嘔気をもたらす波動であった。
  …
 ──女として最悪の辱しめ、と美晴はいったが、その時は圭子には理解も想像も及ばなかった。異常な嗜虐者と化した男たちによって、恐ろしく残忍で悪辣をきわめた性的侮辱を美晴が受けたなどとは全く考えもつかなかったのだ。妖鬼の貌をした男たちは、美晴の性器に砂や異物を詰めこんだ挙句、ライターの炎で焼いたのである。

序盤のシーンですが、最後にこれを語りたいと思います。白水美晴と平山圭子の対決――あえて対決と云いますが、このシーンが好きなんですよ。『幻魔大戦』全編を通じて、一、二位を争う好きなシーンのひとつですね。ちなみにもう一方は、井沢郁江と木村市枝が二度目の対面を果たすシーンです。明雄の心霊治療に市枝宅を訪問する丈と郁江。丈は風邪をひきこんでおり、郁江は無理に付き添ってきたのでした。心霊治療のとばっちりで丈は風邪が治ってしまうのですが、呆れた郁江はつけつけと丈に日頃の不満をぶつけます。そこへ市枝が帰ってきて「それが、先生にいう言葉なの?」と美しい顔に稲妻をたたえて対峙する。癌を患う前の“応えない郁江”と、まだまだ不良っ気の抜けきらない市枝、「二度と戻らないあの頃」の二人の好勝負。タイプの違う者同士、異なる価値観のぶつかり合い。こういうシチュエーションに目がないんですよねえ。それに並ぶ名シーンだと思っています。

田崎とこの素人放れしたきれいな女性の間に何があろうと自分のかかわり知るところではない。こだわるまいと思った。自分が拘泥する理由なぞ何一つありはしないのだ……いつの間にか自分の胸の深みに重く沈むものがあって、圭子はそんな自分に不快を覚えた。
  …
 それが何であるか、美晴には考える余地もなく的確に把握することができた。相手の清浄な美少女は、自分では気付いていないが、田崎宏に惹かれているのだ。平山圭子は無意識的にせよ、美晴を競争相手(ライヴァル)とみなしている。美晴が田崎のことを問題にのぼすと、反射的に体を固くするのはそれがためだった。まるで体を小突かれたように反応するのだ。

前述の郁江と市枝のような、正面切った喧嘩モードではありません。穏やかに尋常に接しながらも、チリチリと空気が帯電するような緊張感が漂います。圭子は田崎への想いを自覚していません。無自覚だからこそ、田崎を訪ねてきた艶っぽい美女の出現になんだがモヤモヤし、モヤモヤする自分に腹を立てています。そんな初心な少女の気持ちを「女」のベテラン、プロのホステスである美晴には、もう手に取るようにわかってしまいます。
ですが、美晴は「フン、あんたみたいな小娘に負けないわよ」などと思ったりはしません。美晴が圭子に抱くのは敗北感であり、こんな無垢で清らかな女でありたかったという憧れです。

 それゆえ、敵意などこの美少女に持ちようがない。惨めな敗け犬であるゆえんは、優越者に対して憎悪や敵意を持ちえないところにあった。
 そんな自分が憐れで可哀そうだ。しかし、美晴自身不可解なことに、己れに完全に優越する敵である、圭子のような清浄な美少女に対して憧れを抱いてしまうのだった。もう一度幼いころの自分に戻って、何もかも一からやり直したい。そんな苦しいほどの切望が存在する。
 もしそれが可能であったら、平山圭子のような美少女に変身し、田崎宏のような若者に純粋な恋をしてみたい。


このように初めから白旗をあげていた美晴ですが、そんな彼女が仄昏い怒りを燃やす瞬間が訪れます。

「それじゃ、人間は苦労をするために、わざわざ地上に生れてくるんですか?」
 美晴は茫然としていった。
「惨めな、堪えられないようなひどい目に遭うのも、自分から選んでしているというんですか? とてもそんなこと、信じられない……」
 硬ばった不信の靄が美晴の顔に降りてきた。
「いったいだれが自分から進んでそんなひどい境遇を選ぶんですか? いくら苦労といっても限度があるでしょう? 女として最悪の辱しめを自ら受けることを選ぶなんて、あたしには絶対にできない……」
 あなたなどにこの気持がわかるものですか、と美晴の目は語っていた。鋭い拒否の目の色が平山圭子にぞくりと冷たい波動をもたらした。自分が大きなミスを犯したことを悟ったのだ。

  …
 劣等感の強い女性には充分に留意しなければならなかった。圭子はその配慮を忘れたのである。この悪声だが美貌の女性には、心の深部に腫瘍のようなむごたらしい悲しみが潜んでいて、絶えず彼女の精神状態を刺激する劣等感になっているのだった。
 それは固いしこりであり、少からず無気味であった。圭子のような若い娘には正視に堪えない波動を放っていた。気味の悪い放射性物質のようであった。


まさに“偽我”ですね。郁江は自らのそれを「固いコブ」(14巻)と云っていましたが、美晴のそれはまるで巨岩。自分と同じく田崎に惹かれている娘に、心の表層では憧れ、負けを認めていても、心の奥底では嫉妬、憎しみの蛇がとぐろを巻いている。それが圭子の肯んずることのできない言葉によって、鎌首をもたげます。
はっきり口にはしないし、意識すらしていないでしょうが、彼女はきっとこのように思っていたのです。ぬくぬくと幸せに育ってきた、いいとこのお嬢さんに何がわかるの? あなたも私と同じ経験を味わってみればいい。そんないい気なことは云っていられなくなるわよ――と。

その美晴の無残な過去を精神感応によって圭子は追体験します。リアルな体験に等しい苦痛と恐怖が、圭子に深甚なショックを与え、同時に自分の甘さ、他人の苦痛もわからぬものが得々と受売りのお説教をする浅はかさを思い知ります。そして、自分だったら堪えられただろうかと思う生き地獄を堪えて生き抜き、なお光を求めて、この箱根の地までやってきた、美晴のその美しさに圭子は泪します。
その泪の意味を美晴は知る由もありません。ああ、ついカッとなってキツいことを云って、娘さんを泣かせてしまった。どうしましょう、ごめんなさいごめんなさい……。郁江VS市枝のストレートな衝突とはまた違う、不器用な、自分で自分がわかっていない者同士が接触し、軋みをあげる。重くて、辛くて、でもちょっぴり微笑ましいところもあって、胸がキューっと締め付けられる、泣きそうな気分になります。

この作品は、決して目立たないのですが、このように要所はしっかりSFなんですよね。そんな、SF設定なくしては成立しない「文学」というものが、確かにあるのです。

 



2019.08.15 正式版公開(ダイジェスト追加、改題、本文加筆・修正)