私が人生で一番嬉し泣きをしたのは、司法試験に合格した時ではない。

それは、司法試験に「再失権」した、2018年9月11日のことだった。

 

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2018年9月11日。

新制度下で8回目。司法試験の“5年5回”の受験資格を失う不合格、つまりいわゆる「再失権」した日である。

9.11と相まって、我がジハードの審判が下る日ということで絶対に忘れようのない日であった。

 

私は新司法試験制度初年度である2004年からロースクールに入学しているので、“5年3回”つまり“三振制度”時代に一度失権している。ロー創生期の1期生であるから、現行制度上私が一番、司法試験不合格回数が多い受験生であった筈である。

これは国家制度上、「あなたは法曹資格試験である司法試験受験に向いていないので、諦めて別の人生を歩んで下さい」と、法曹チャレンジ不適格の烙印を押すものであるから、事実上の受験人生に対する死刑宣告に等しい。それが、失権制度を導入したということの意味である。

 

 

実は、私にはどうしても合格しなければならない理由があった。

私には「死んでもこの人よりも絶対、先に合格すること」が至上命題である、人生を賭けて倒さねばならない唯一最大のライバルがいた。

その為には、自身最後のチャンスである2018年の司法試験に、どうしても受からなければならない。だからその年は全身全霊司法試験勉強「だけ」に人生を賭けた。文字通り、「寝ている時間以外全て勉強時間」に充て、一点の悔いなく最後の試験に賭けた。

 

万一、落ちて、また失権したら・・・?

 

私の辞書には「司法試験を諦める」という文字はない。

仮に失権しても、私のライバルが合格しない限り、私には起死回生のチャンスが残されている。それは、「2019年の予備試験に合格する」ことである。そうすれば2020年の司法試験を受ける事が出来るし、しかもその年まで、まずライバルに先を越されることはないと計算していた。

 

予備試験の合格率は4%である。そして、予備試験合格者の内訳を見れば、半数以上が現役大学生とトップロー生で占められている。

客観的に見て、司法試験に落ち続けるような、しかも高齢者である私が、その1年後の予備試験に合格する可能性は限りなくゼロに近い。

 

そこで私は、2018年の最後の司法試験を受け終えた後には、予備試験合格者を何人も輩出するようなロースクールを受けることにしよう、と考えた。中でも、予備試験合格者のみならず、司法試験合格者もトップレベルで輩出しているローに、狙いを定めることとした。そのローに行けば、仮に、2019年の予備試験に合格できなかったとしても、ロー卒資格で2021年の司法試験を受ける事が出来る。しかも計算上、そこでの司法試験合格可能性は最も高い。

こうして私は、これ以上の背水の陣はあり得ないという程の布陣を頭の片隅に置きながら、5月の最後の試験に挑むことになった。

 

2018年5月の司法試験。死力を尽くして闘い終えて号泣し(過去記事“司法試験シンドローム”参照)、まるで定年退職後のサラリーマンのように放心状態に陥った私は、「失権という最悪の事態を想定し」、合格発表を待たずして、試験の翌日から予備試験の勉強と、3度目のロースクール入試の勉強を開始するのである。

 

というわけで、当時の相棒を誘って、共に予備試験の勉強とロー受験をしながら、9月11日の発表の日を待っていた。

 

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9月11日、15:50。

私は法務省前で、その時が来るのを並んで待っていた。

番号は既に掲示板に貼られていて、布で隠されていて一斉に開示するようになっている。

 

私の目の前に並んでいた親子のうち、母親が、急にビデオカメラで撮影を始めた。息子が合格する瞬間を撮ろうというのか。

同じ「合格発表を待つ」という行為なのに、何たる落差であろうか。向こうの親は、息子の合格を1000%確信している。そうでなければ発表前にビデオ録画を始めない。そして息子もまた、自身の合格を2000%確信している。そうでなければ万一不合格だった場合、その画像はどうしてくれるのか。そんな恥ずかしい行為を親に許可するはずがない。

 

方や家族共々、合格を確信していて、方や再失権が懸かった崖っぷちに指一本。やめてくれ、こちらにカメラを向けないでくれ。悲壮感溢れる私の表情が映り込むじゃないか。

おまけに母親、よく見れば私と同い年くらいじゃないか。なぜ私が“合格を確信している息子を撮影する”側ではなく、頼むからどうか合格していてくれと、命乞いにも似た切実なる祈りを捧げる側にいるのだろうか。

 

凄い取り合わせなので、いつかネタにしようと思っていた、とっておきのネタである。

 

 

16:00、あの、人生を賭けたゲームに勝利した者の歓声と、敗れた者の声なき絶望が同時多発する瞬間が訪れた。

順番が私に回ってくる。

 

番号はなかった。

 

しばらく私は、絶句したまま、私の番号だけがない数字の羅列を、馬鹿みたいに口を半開きにしたまま、凝視していた。

 

その日はどうやって帰宅したのか分からない。多分、電車の中で相棒にラインを送っている記憶があるから、電車に乗ったのだろう。

 

 

 

帰宅した私は、力なくパソコンを開き、合格発表を見る。その日は私の本命校ロースクールの、合格発表日なのだ。

 

ある。

私の番号が、今度はあったのだ。

 

助かった」、そう思った瞬間、私は声を上げて、泣いた。嬉しくて泣いた。一度断ち切られた、司法試験への道が、また繋がったのだ。

それはまるで、一度死刑判決を受けて確定後、再審への道が開かれたようなものじゃないか。

 

「これで司法試験の勉強を続けられる。また、司法試験を受けられる。命拾いした・・・」

 

これが、私が、人生で一番、嬉し泣きをした瞬間である。

 

 

(このエピソードは、司法浪人仲間に何度話しても爆笑される鉄板ネタになっている。「意味わかんない」「頭可笑しいでしょ」「完全に壊れている」とウケまくるのだ。何故笑われるのか私には分からない。私は、心から「命を救われた」と、「嬉し号泣」したのというのに・・・)

 

 

2018年9月21日。

私は、みたびローに行き、予備試験を受け、司法試験の戦場に必ず戻ると固く心に誓い、ライバルに宣言した。いつかきっと、追いつき、追い越すよ、・・・と。

 

今でも私は、この時の自分が、一番好きだ。

 

 

その1週間後。

 

私は新たな指導者を求め、初めて訪れる予備校の一室へ、意気揚々と向かっていた。

相手方には、私のプロフィールは既に送ってある。後日明かされたのだが、その人はそれを見て「とんでもない事故物件が来た」と思ったそうである。

 

その人こそ、私を合格に導いた新たなる冒険の師であり仲間であり、それこそが運命の出逢いだったのだ。