「司法浪人」という死語がある。

別名「ヴェテ」(ベテラン)ともいう。これも死語である。

 

なぜ死語になったのか。

かつての司法試験は合格率が3%と難関であった為、合格まで10年以上かかる者が多く、どうしても法曹になるのを諦められず司法試験に人生を費やし続ける「司法浪人」がたくさん、いたのである。

 

2004年に日本の司法制度が大幅に改革され、それまで誰でも受験可能であった司法試験を、原則として法科大学院(ロースクールのこと。以下「ロー」とする)を修了し、法務博士という学士を得た者のみに受験資格を与えた上で、修了後5年以内に3回のみ受験可能とし(後に5回になる)、3回受験しても合格しなければ「失権」し、その者は司法試験を受けられなくなる、とした。ローを修了して5年経っても合格できない者は法曹の適性なしと見做され、法曹になるのは諦めてさっさと他の職業を目指しなさい...と国家から勧告されるという、極めて大きなお世話な制度に改革されたのである。

 

この制度改革により、日本から「司法浪人」は一掃される...筈であった。

 

ところが司法浪人は考えたのである。

失権しても、もう一度ローに行き、修了し、再度受験資格を得て、司法試験を受ければいいのではないか?

あるいは失権しても、予備試験を受け、合格し、再度受験資格を得て司法試験を受ければいいのではないか?

 

このように考えた司法浪人は少なくない。理論上何度失権しても、何度でも受験資格を得て、司法試験を受け続けることができる上、これを阻む制度はない。政府の想定外の手段だからである。実際、現在は最多で3周目に入った者もごく数名であるが、現存するものである。

 

このように明らかに法の趣旨を逸脱して司法試験を受け続ける者は、国家に戦いを挑んでいるといえる。

 

 

私が合格した時、私の合格に最も寄与した先生から言われた。

 

「あなたは、国家に戦いを挑んで、勝ったんですよ」

 

そうか、私は国家にも勝ったのか。

 

 

皆が春夏秋冬、四季折々の風情を感じながら各々の享楽に現を抜かし続けている頃、司法浪人は己の志の為に全てを捨てて、司法試験の勉強に全精神を捧げ続けている(過去記事「司法浪人数え唄」参照)。その魂の気高さなど誰にも看取られることはない。せめて私が慰めの鎮魂歌を唄おう。

 

 

これから数回にわたり、過去書きためていた「司法試験受験生コラム」をアップする。司法浪人生に向けたコラムというよりは、自分自身の魂を鎮める為の戯れ言かもしれない。

 

 

実は司法試験会場で貸与されるあの「法文」が最強バディであることに気付いているだろうか?

何故司法試験論文式試験では、六法が机上に置かれているのか。それは、「法文から離れるな」という試験委員からのメッセージなのでる。


答案はとにかく条文の文言からスタートである。何を書いたら分からなくなっても六法が常に隣にいてくれて、開けばヒントを与えてくれる。憲法は余り頼りにならないが、他の科目においては強い味方となって司法試験の論文式三日間の壮絶な闘いを支えてくれる頼もしい相棒、それが「法文」である。以上、アガルートアカデミー石橋講師による「元ぎゃるお先生のちゃんねる」からの受け売り(但し石橋講師は「法文は、あなたにいつもそっと寄り添ってくれる恋人」などと、やや気持ちの悪い存在にして熱く語っている)。

 

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「六法」とはいわない「法文」とはこれだ!

今は亡き「」司法試験用法文、のタイトルがヴェテの涙を誘う。

実際は10冊(自分の9冊+昨年度の合格者から験担ぎでいただいた1冊)を所有。右の方は解体して1年間使い込んだ成れの果て。

 

 

ベテラン受験生は4月に発売される「司法試験用六法」を購入し、絶対使う条文(会社法831条とか)の位置を全部把握しておくのがお約束である。ただ、今年みたいに本番の法文で位置がちょっとズレていたりすると、会場でコンマ0秒慌ててしまう。

 

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私の気まぐれバディ