童謡「しゃぼんだま」が、実は幼子を亡くした時に創られたらしい、という背景を聞くと、こんなに悲しい曲はないとしか聞こえなくなってしまうと思います。それと同様にAGHARTAの長万部太郎こと角松敏生の「WAになっておどろう」が、我々角松ファンにとっては〝涙なしには聴けない〟理由、それはこの曲が創られた背景にあります。
 
 
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先日引用の記事ネタ元です。確かに、JOC公式HPにも角松敏生の名はありません。
 
角松敏生という一人のミュージシャンが、1993年に、プライベートその他の出来事を引き金とした精神的な理由により、「曲が書けなくなって」音楽活動を凍結したところからストーリーは始まります。
 
凍結後、過去作品のリメイクアルバムや映像作品を出して以降、自分の作品ではなく音楽プロデューサーとして精神のリハビリに努めます。この間角松は、数多の佳作、名曲を世に送り出しています。
凍結期間中期を過ぎた頃、角松はAGHARTAという名の覆面バンドを結成します。何故覆面バンドかというと、これは当初、「角松敏生」という名前を伏せて、インディーズでアルバムを売ったら、どれだけの人が聴いて「いいね」と支持して買ってくれるのだろうか、という、マーケット訴求力を探る実験だったからであります。それ故アガルタNo.001は「角松敏生」ではなく、「長万部太郎」というふざけた名前です(この決断が後に大きな後悔に繋がるのでした・・・)。
しかし当然、角松ソングに飢え乾ききっていた角松ファンの嗅覚、いや聴覚にすぐさま引っかからない訳がありません。そして角松敏生はもちろん、浅野祥之の名も友成好宏、田仲倫明ら角松バンドの名も伏せられていたにもかかわらず、インディーズでこっそり発売した筈のアルバム「AGHARTAⅠ」「AGHARTAⅡ」は角松ファンによって買い占められ、実験は失敗に終わるのでした。

 

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その後、角松ファンであった幹部に口説かれる形で、AGHARTAは飛ぶ鳥を落とす勢いのエイベックスに移籍。1997年4月、「イレアイエ~WAになっておどろう」がNHK「みんなのうた」で放送開始。「テレビに絶対に出ないミュージシャン」角松敏生の声が、しかも、音楽活動凍結中に、テレビ、それもNHK全国放送で、日本中に流れる・・・!!!角松ファンはこれだけで涙、涙です。(私が角松ファンだということを知らない友人はいないので、当時、何気にテレビをつけた友人から「みんなのうたで流れてる曲の声、角松じゃない?」と続々連絡が来たものです)

 

【avexのサイトにリンクが残っていましたので貼っておきます。→★】

1995年、真の音楽価値を追及する為に立ち上がった謎の超実力派集団「AGHARTA」は同年インディーズより2枚のアルバムを同時リリースし、各方面より高い評価を得て1996年メジャーデビューを果たす。そして1997年5月いよいよ初のシングルをリリースしました。 「AGHARTA」のメンバーは001~008と番号で呼ばれ、名うてのミュージシャン8人衆である以外はまったくの謎とされていますが、どうやら長万部太郎(おしゃまんべ・たろう)と云う人物がキーマンであるらしい。その音楽性は真のレアグループであり、子供から大人までが歌って、踊って、楽しめるアフロラテン・クロスオーバー・フォークソングとも云えるハイクォリティーな音楽性とメッセージ色の濃い歌詞で構成されるサウンドであります。 アガルタとはチベットの奥地にある古代文明の末裔たちが住むと云われている地底王国の  名前であり、伝説によれば世紀末に世の中が乱れるとアガルタの民族が地上に上がり、この世を救う為世直しすると云われています。
 今回、NHK「みんなのうた」のスタッフが彼らのサウンドと歌に着目し、「AGHARTA」のメンバーもそれを受け決定!「AGHARTA」は世紀末の音楽業界へのアガルタの民(救世主)となるか!!

 

 

その後、長野五輪の公式マスコット「スノーレッツ」公式ソングに決定し、長野五輪閉会式の大トリに採用された経緯は既報の通りです。
 
 
「イレアイエ~WAになっておどろう」は、角松さん曰く、まさしく天からスーッと降りてたが如く創られた曲だそうです。
 
改めて歌詞を見直しても、極めて平易な言葉で、当たり前の言葉が、僅かしか並べられていません。要は「みんなで輪になっておどろう」を繰り返すだけです。角松デビューアルバムのダンシャワと全く同じです。「最後は全部ラララで誤魔化してフェイドアウト」がお約束のアガルタ方式もしっかり踏襲されてます。
この曲で何故角松ファンが咽び泣いたのか、巷間の方々には理解し難いのではないでしょうか。
 
 
悲しいことがあればもうすぐ 
楽しいことがあるから信じてみよう
 
 
泣き所はここなんですね。この曲は子ども向けの曲です。大人が子どもにこう教えているわけです。
 
大人になるということはそれだけで「悲しいこと」なんだ。だけど、悲しいことの次はきっと「楽しいこと」が来るんだ。今はそう信じて、みんなで踊ろう。
 
 
角松はそこから遡ること5年前、日本武道館で音楽活動を今日で止めると宣言した時、客席から聞こえた「ガタガタ言ってないで続けりゃいーんだよ!」の叫びに、「今、そうおっしゃった方は、何かを、やめたことがなかったんでしょうか」と怒気を込めて反駁しています。大人になるということは、夢が叶わないこと、続けられないこと、諦めること、裏切られること、傷つけ傷つけられること。夢は叶わないもの、想いは伝わらないもの。力が及ばない、変えられない運命というものがあることを識ること。そうした「悲しいこと」全ての体現、ということでもあります。
 
自身の存在の証明でもある音楽活動が出来なくなるほどの大きな挫折を経て、まるで自分自身に言い聞かせてるかのようではありませんか、「悲しいことがあればもうすぐ、楽しいことがあるから、信じてみよう」と。
 
その角松さんの想いを汲んで、角松を支える7名のバンドマンたち。そして、角松が必ず戻ってくると信じて待ち続けた角松ファンたち。みんなで角松を囲んで、WAになって踊る。悲しいことも楽しいことも、すべて巡る人生なんだと言い聞かせながら。
 
 
長野五輪閉会式、最後の最後に異例の生演奏で「イレアイエ~WAになっておどろう」を歌う角松、演奏するバンドマン。仕込みのジュニアダンサー達がアガルタを取り囲むのと同時に、選手達がステージになだれ込み、みんなで歌い、踊る。スタンドもステージも境目なく、あたかも国境がないのと同様に、自然発生的に。金メダリストもメダルを取れなかった選手も、みんな輪になって踊り続けている。
 
その輪の中心にいるのが、角松敏生だったのですから。そりゃあもう滂沱の滝涙しかないでしょう。
我々角松ファンは、角松さんが何故音楽活動が出来なくなったのか、その「悲しみ」の諸事情を共有してしまっていたのですから。自身が体現した悲しみも重ね合わせて。
 
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AGHARTAの長万部太郎こと角松敏生。
 
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ノルディックの荻原次晴選手は、角松ファンでした。ステージの角松さんに駆け寄っています。
 

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総合司会の萩本欽一が閉会宣言した後も、延々と歌い続ける角松敏生。

 
 
1998年2月22日、長野オリンピック閉会式。
 
同年5月18日、遂に角松敏生は音楽活動を解凍するのです。