先月は、角松敏生ファンクラブ会員の為の「独演会」が開催され無事終了。そしてソチ五輪も終わりました。
・・・と来れば、この話が出ない筈がない!

「角松ファンが求めている角松さんの話」というのは、ファンによって異なると思いますが、基本、我々ファンは、「角松さんご自身がしゃべりたい話を求め、聞かせて頂く」というスタンスが多いかなと思います。

私個人的には、「今の」角松さんのプライベートな話は求めていません。ただ、その曲の誕生由来とか、どういう背景やどういった心境の下で創られたものなのか、という話に付随する限りで聞かせて欲しいとは思っています。

「チアキ」に提供し、セルフカバーされた「いのち」という曲について、語って下さいましたので、先日自身の感想含めて書き記しましたら、極めてプライベートな話になってしまったので、限定記事にしてしまいました。
今日はそんなことにならないよう、私が印象に残って、かつ、ネタバレでも構わないようなエピソードを二つ、書き残すことに致します。


◆長野五輪閉会式◆


1998年2月22日。長野五輪の閉会式というのは、公にはこういうことになっています。


・・・そして聖火の納火の後、杏里と子供たちが会場と全員で「ふるさと」を合唱し、司会の萩本欽一が「私たちのふるさとは?」と問いかけると会場は「地球!!」と叫んだ。フィナーレは、花火5,000発が打ち上げられAGHARTA(長万部太郎こと角松敏生率いる覆面バンド)が登場し、「WAになっておどろう~イレアイエ~」を演奏した。曲が期間中の選手待合室にも流れており選手たちに好評だったためか、選手たちがステージに上がったり一緒に楽器を演奏したり思い思いのダンスを踊ったりと、まさに国境を越えた盛り上がりを見せた。また、テレビの独占生中継をした日本テレビでは視聴率30.8%をマークした。

テーマソング
「WAになっておどろう~イレアイエ~」AGHARTA(公式テーマソング。元々はNHK「みんなのうた」で採用されていたもの。スノーレッツのテーマソングという位置づけであった)
「SHARE 瞳の中のヒーロー」杏里(公式イメージソング)
「Dream~愛を忘れない~」さだまさし(公式メッセージソング)
「長野冬季スポーツ音頭」清水アキラ、小林由紀子(推薦曲。当初は「長野オリンピック音頭」であったが、オリンピックが登録商標であったので改称された)
「銀色の夢 ~All over the world~」DEEN(公式ボランティアサポートソング)
「足音 」槇原敬之(聖火リレー公式応援ソング)
「湾岸スキーヤー」少年隊(イメージソング)
「Unite! The Night!」TRF(イメージソング)

(以上、wikiより転載)



この話はかつて角松さんが折に触れて何度も披露されてますので、ご存じの方も多いと思います。

「イレアイエ ~WAになっておどろう」は、角松敏生音楽活動凍結中に結成された覆面バンド「AGHRTA(アガルタ)」が、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのエイベックスにレーベルを移して発売されたシングルで、「NHKみんなのうた」で口コミにより評判になりました。

評判が良いので、V6(エイベックス所属)に歌わせようという話が持ち上がり、V6の「WAになっておどろう」がヒットしたのはご存じの通り。

当初、ジャニーさんは
「覆面バンド?アガルタ?なんだか訳の分からない得体の知れないオッサン連中の曲をうちの子たちに歌わせるわけにはいかない!」
とおっしゃっていたそうで、そこをジュリーさんが
「・・・でもこのアガルタって、角松敏生さんですよ」
ジャニー「あ、そうなの。じゃぁいいや」
・・・という話になったとか。

その後、長野五輪のテーマソングに何とか押し込めないか、という話になったものの、五輪の公式テーマソングはもう5年前に杏里に決まっていたと。その他公式ソング、イメージソング・・・全て5~10年前に決まってるんですよ!
角松さん「東京五輪もね、もう今から凄い政治の力が蠢いてる筈です。もうEXILEあたりが歌うことになってるんじゃないですか(笑)」
・・・とまぁそんなわけで百家争鳴の所謂「五輪テーマソング」は、上記の通りです。
仕方ないので最後に余った公式キャラクター「スノーレッツ」のテーマソング、ということで押し込まれました。

長野五輪開催中、選手村などでBGMとして常時かけられた「イレアイエ ~WAになっておどろう」ですが、閉会式の最後の大トリを飾ることになった話。
当初、閉会式で歌いませんかという話が来た際、角松さんは

「生じゃないとやんないよ」

五輪のイベントというのは、間違いがあってはいけないので、基本、全部口パクなのです。ですから他の歌手(杏里さんも、ですね)は皆さん、事前録りした音声を乗っけてます。
そこはもう、敢えて「生演奏」じゃないと、自然発生的な感動を呼ばない、という確信をお持ちだったようです。

「じゃぁいいです」

演出の浅利慶太氏に聞いて、それはダメだと一旦は主催者側も引き下がったそうですが、しばらくしてまたやってきて

「浅利慶太さんが、ラスト、花火打ち上げるところまでがオレの演出で、その後は関知しないから、その後なら勝手にやっていいよ、とのことです。但し、花火打ち上げてる間にセッティングしてスタンバイ終わること。」

・・・というわけで前代未聞の五輪閉会式「バンド、生演奏」が実現し、閉会式最大の奇跡が生まれたのです。これ、演出じゃないんですよ。自然にグルーヴが発生し、勝手に選手がみんななだれ込んできて、リオのカーニバル状態になっちゃったんですから。練習を積んで踊っていた子供たちは、外国人選手の肩車に勝手に乗っけられたり迷子になったり踊れなくて、ワンワン泣いちゃってたと。

あれを見て浅利さんは相当悔しがったらしいです。




アガルタの長万部太郎こと、我らが角松敏生は、1:55にようやく登場です。


私は、今でもこの映像を見ると、当時の想いが蘇ってきて必ず泣いてしまうのです。だから、滅多に見ません。
そして、以前にも書きましたが、出来ればこの曲は20周年、30周年といった節目の、大きなホールで演奏して欲しい・・・というのが私の勝手な願望です。




◆ONとOFF

「ONとOFFの使い分け」について質問がありました。

これについては、

「以前は、スタジオに行くまでの間に気持ちを切り替えて、スタジオにこもってCITY LIGHTS DANDYの世界に入り込んでいたんですが・・・今は自宅にスタジオがありますからね。家族に会いたければ上に行けば会えますし、娘が、ドアをドンドン叩きますから。そういう意味では、ONもOFFもなくなった」

・・・とのことで、なるほどなと思いました。
恐らく色々な感想があると思います。私の感想は、敢えて、秘密にしておきます。