大津市いじめ自殺事件をきっかけに、全国のあちこちで、
いじめという名に借りた、少年犯罪事件が次々と明るみになっている。


一昨日は、仙台育英高校での根性焼き傷害事件
全国いじめ被害者の会・代表の大澤さんがコメントしている映像の背景から、
あっさりと事件の舞台となった学校名が判明した。
甲子園出場の生徒達に非はないが(加害者がいなければ)、
被害者を自主退学させようとした学校の対応は、徹底的に糾弾されるべきものである。
昨日、グーグルで「仙台育英高校」と入力すると、
「根性焼き」とのワードがでるほどだった。ネットは時として最も正直だ。


今日は、東京都の私立学校で、肋骨骨折・頭部打撲により一時意識不明という、
とんでもない犯罪が行われていたことが判明した。
報道済みの「清瀬市の私立中学校」は、1校しかないので、
あっけなくその学校名が判明してしまう。
被害者は入学直後からいじめを継続的に受け続け、
遂に今年の1月に傷害を負わされてしまったという。
最初は些細とも思えるいじめを放置・容認することで、
迅速に重大な犯罪の結果に発展するという、典型例である。

震撼せざるを得ないのは、それが「私立中学」だからであるだけでなく、
「カトリックミッションスクール」という点である。
最早、いじめという名の犯罪行為から子を守る為に、
「私立だから」「ミッションスクールだから」というくくりは役に立たないということが分かった。



ネットでこのように情報が拡散・共有されることは、
プライバシーの流出というリスクを覆っても余りあるほどのメリットがある。

それは、今まで聖域として守られ、
義務を怠り責任を回避し隠蔽に腐心してきた学校に対し、
そんなことをしても無駄だというだけでなく、
逆にネット住民の怒りを買えば、百倍のお返しがやってくるということを知らしめることだ。
簡単に言えば・・・
嘘をついたり、ごまかしたり、誠実に対応しないと、
もの凄く叱られるんだぞという、
まるで子どものしつけレベルの教訓である。

実はこれ、企業では10年位前から導入され、
雪印事件等を経てすっかり定着している「コンプライアンス」(法令遵守)と同じである。
企業の経営者が、自社の不祥事を隠さず、株主やコンシューマーに開示し、
迅速に謝罪・賠償等することで、企業にとって最も大切な「信頼」を確保する。
これを誤ると、マスコミ・消費者から叩かれて「信頼」を失い、
結果的に業績にもダメージを与える。
無論、コンプライアンス違反が明るみになったことによる業績・株価の下落は、
株主代表訴訟による損害賠償請求の対象になる。
会社ではなく、当時の役員等が賠償責任を負うのである。
商法が改正され、会社法になった時に、明文に盛り込まれてもいるが、
最早、程度の濃淡はあれど、企業におけるコンプライアンス意識は社会常識の域に達している。


何事も、表沙汰になるということは、
基本的には良いことなのだ。
表沙汰にできないようなことをやらないよう、
頑張りますからね。特に集団は。

従って、たかだか一人の生徒が学校への信頼を失ったとしてもびくともしないという、
コンプライアンスのコの字も存在しない、犯罪天国SCHOOLにとって、
隠蔽すれば100倍返しになる、という前例を作る事は、
唯一と言っていい程の有効打になるような気がするのだ。




私は中学校からずっとミッション・スクールに通い、
その後も何かとミッション・スクールとは縁が深い生活を送っている。
ミッション・スクールだからといっていじめがなかったわけではない。
ただ、女子校だったから、それが「犯罪」の域に達してはいなかった。
ショックなのは、学校内のいじめに対し、それがまさしく犯罪になってしまうまで、
学校側は何もしていなかったということである(重大な結果が発生したということは、何もしていないということに等しい)。

というわけで私は今、
数少ない「子どものいる友人」から(私には、所謂ママ友達という存在が一人もいない。そうしたことを怠ると、子どもに代償が降りかかるのが現代日本社会・・・)、
「いじめ・暴力行為は問答無用で退学、という校則」
が存在する中学・高校というのを、リサーチしている。
あるんである。ちゃんと。
しかも、本当に退学させるものだから、もの凄く効果絶大らしいのである。
ある時、「ふざけあいっこ」(教師がこう呼び、私がそれは集団リンチだと言って平行線になった「ふざけあいっこ」のことではなく、本当のふざけあいっこのこと)をしていて、パンチの当たり所が悪くて、相手の指の骨が折れてしまった事があったらしい。
わざとではないのだが、パンチをした男の子の両親は顔面蒼白で校長室へすっ飛んで来て、土下座して謝罪し、「わざとではないのでどうか許して欲しい」と懇願。
反省文を30枚書くことで許しを得たとか。
一応、退学の対象になるのは「故意による暴力」だからね。
そして実際、その学校にはいじめがないのだという。

だから私は最初から言ってるじゃないか。
いじめをしているともの凄いペナルティーが待っているんだという理由がないと、
やめる理由がないんだって。





最近、私のライフワーク(?)である、少年犯罪について考えている事を、
かなり沢山記事にアップしてみたが、
この検索ワードでここに来る人というのは非常に少ない。
なんと言っても「角松敏生」で辿り着く方がダントツなのは良いとしても、
未だに根強く、「スピリチュアル批判」で来る人が多い。

恐らく、「大津市いじめ」をテーマにブログを書く人というのは数的に多いのに対し、
「スピリチュアル批判」をテーマに書く人が非常に少ないから、
簡単にアクセスされてしまうのだろう。

昨日読んだスピリチュアル本に、「スピ系」と「アンチ」は、永遠に歩み寄れない、
ということが書いてあった。
それを見た瞬間、スピリチュアルも批判ももうどうでもいいという気持ちになった。
真に歩み寄れない存在なら、批判してもしょうがないじゃないか。



ちなみに、大津いじめ自殺事件について、スピリチュアル系の方、
それもちゃんと霊視もセッションもやるプロ(というかそれで飯食ってる系の方)が、
何を書いてるのかな、と探してみたことがあった。
これ、前も同じ事してるんだけどなぁ・・・
・・・山口県光市母子殺害事件差戻上告審判決が出た時。
あの時は、スピ・カウンセラーの記事に憤ったけど、今度はどうだろう。


案の定というか予想通りというか、
「いじめ」問題に対し、スピリチュアルは何の解決も、何の光も与えてはくれていない。
一応、「過去世の問題がある」とか、まぁ霊視をすれば、いじめられる原因が分かるらしいのだが、
それよりも何よりも必要なのは、どうしたらいじめをSTOPできるかという有効打だろう。
そして見切った。
別に、いじめ問題に限らず、
スピリチュアルは、「今、ここにある危機」に対して無力である。
漠然とした将来の不安感、切迫感、過去のトラウマ、こだわり、哀しみ、無力感、絶望感、人生迷路に入った時のそうした感覚に対しては有効であっても、
今、この人から殺されるかもしれない。今すぐに死ぬしかない。敵は自分じゃないんだ。敵は、自分以外にある。
そんな「今現実に存在する危機」に対しては無効なんだな。



なんでもかんでも、自分に問題があるんじゃないんだぞ。

なんでもかんでも、自分の意識さえ変えれば世界が変わるわけじゃないんだぞ。

自分に問題があると思ってる人には、スピリチュアルは有効だが、

そうではない場合は、ただの戯言にしか聞こえないんだ。