3月11日
地震発生時、3月11日14時45分ごろ仙台駅近くのオフィスにいた。
揺れ始めはそれ程大きくなく、このところ続いていた震度3程度の地震がまた来たかと思っていた。
しかし数秒で一気に大きな揺れとなり、ただ事じゃないとすぐに分かった。
オフィス内では女性の悲鳴が上がり、机の上にあったものはほとんど床に落ちた。
自分も途中から座り込み、パソコンが倒れないよう押さえながら机の下に隠れた。
しばらくして揺れが止んだところで、ビルの外に出た。
意外とコートを着たり車のキーを持ったり、時間的・気持ち的余裕はあった。
よく見たら天井は剥がれコピー機は1台分程ずれ、柱にはひびが入っていた。(写真)
外に出て落ち着くのを待っていると早くもテレビの取材が来たりヘリが飛んでたりした。
自分は周りに怪我人もいなく、単に揺れが大きな地震だったなぐらいの楽観をしてた。
多分この辺りの人たちは皆そうで、凄かったねとか笑いあってたりしてた。
とはいえ停電もしており何もできない状況。
しばらくして家族の元に帰る人が出始め、自分は独り身同士3人で避難所へ向かうことに。
徒歩30分ぐらいの、その中の一人の家の近くの小学校にした。
途中電卓と手書き伝票で営業してる商店があり、そこで多少のお茶とクラッカー等を購入。
街中を歩いているとガラスが割れたショールームや歪んだ建物等が見られ、だんだん地震の被害が分かってきた。
ただそれでも今知っている程の被害など想像もしていなかったので、ちょっとしたイベント気分でチャラチャラしてて相当不謹慎だったと思う。
無事からの安心でなのか、気分が高まっていたんだと思う。
もうしばらく歩いていると雪が降り出した。
積もる程の本格的なものでかなり寒い。
信号の消えた交差点を渡り、遮断機の下りた踏み切りをくぐり、やっとの思いで若林区南材木小学校に着いた。
体育館に入ると早くも避難者がたくさんおり、なんとか自分達のスペースを取ることができた。
近くの会社の方の家から毛布やジャンパー等を調達したが、外は既に雪が積もっている程でとにかく寒い。
町内の消防団のような方が体育館内の指揮をとっていた。
17時過ぎから辺りが暗くなりはじめ、電気も無いため館内は真っ暗に。
携帯も電池が限られているのでなかなか使えない。
そんな中わずかな時間ワンセグを付けて、漸く損害の規模を知った。
同じ市内の状況と信じられず、3人で何度も見返した。
午後19時頃備蓄の水と乾パンの配給があったが、全員には足りなかった。
自分はクラッカー(リッツに激似)を3枚ぐらいだけ食べて寝ることにした。
狭いから人と人の間にはまるような感じ。
寝てる間はとにかく寒かった。
スーツの上にコート・ジャンパーを着て毛布に包まっても寒かった。
避難所でも余震は続いていた。
始めは揺れるたびに声が上がったりもしたが、だんだん皆慣れてきて大した反応も無くなっていった。
そして余震で何度か起きながらも意外と結構寝られた。
