高校の3年間は担任に恵まれた。組が違った周りの友人たちもそう言っていることを考えると、この時代の熱田高校はいい先生が集まっていたのかもしれない。今はどうなんだろう?
308の時の担任は加藤コーサイという世界史の先生だった。210の時の担任が英語の加藤義昭先生で他にも数学の加藤哲先生もいたことから、生徒たちは失礼にもそれぞれ名前で呼び分けていた。「コーサイ」という名前の由来は何度か聞いた気がするけど(論語に出てくる云々?)忘れてしまった。お付き合いの「交際」でなく、「サイコー」の業界的な読み方でもなく、正しくは「皓宰」という難しい漢字を使う。
コーサイには2年の時に世界史を教えてもらっていた。毎回手ぶらでやってきては、「前回どこまでやった?」と最前列の生徒に聞き(聞かれるやつは毎回決まっていた)、全く板書をしない独特なスタイルで世界のあちこちで起きた出来事をすらすらと講談的にしゃべっていく。ちょっと艶っぽい話やマジか?というような怪しい話も織り交ぜて、飽きないように工夫していたのだろう。それでも毎回おとなしく聞き入るほど落ち着いていなかった僕は、居眠りしたり授業をサボることも多かった。もっと真剣に聞いておけばその後の進路も違ったものになったかもしれない。それ以上に、読み物(聞き物?)としての面白さもあっただろうに。
さて、3年に進学して担任がコーサイになった。選択科目で日本史を選択したのだが、コーサイが今度は日本史を語り始めた。新学年がスタートしてすぐに、クレペリンテストという検査があった。数字を足していくとその答えの列の形で性格がわかるという心理検査らしい。そこでジョン・レノンが大好きだった僕は、答えの列が「LOVE」になるように答えを書いた。もちろん足し算の答えでは無く適当な数字を並べて。それによってコーサイいわく「恐ろしい結果」が出たらしい。2、3か月後の保護者会でその話をされた。「とんでもねぇヤツ引き受けたなぁ、とユーウツになってなぁ」と。「先生、足し算なんかで人の性格がわかればみんな苦労しないよ」とかなんとか粋がってみたところ、「いやー本当におまえが普通でよかったよ」。
いつも生徒を大人扱いしてくれたコーサイ。卒業後に神宮前の居酒屋に行ってお金が足りなくなったコーサイ。いつもワセダの校歌を唄っていたコーサイ。大変お世話になりました。
10年ほど前に同期会を開催した際、欠席を知らせるはがきには闘病中であることが書かれていた。その後、65周年の記念誌でコーサイが鬼籍に入ったことを知った。先生どう?そっちはサイコーかい?