雷鳥はJ頁を目指す -15ページ目

木島選手入団

次々に来る山雅の入団発表。


松田選手に続いて今度は木島良輔選手。そうです。山雅の木島徹也選手のお兄さんでございます。

昨年町田ゼルビアで16ゴール挙げた実力は伊達ではないと思いますし、正直JFLレベルではない選手です。

ドリブルの早さは一級品ですし、その決定力はまさに天才と言っても過言ではないでしょう。


1998年横浜Fマリノスに入団、2002年9月に大分にレンタル移籍し大分のJ1昇格に貢献するもシーズン後に大分、そしてレンタル元の横浜からも解雇。1年の浪人生活ののちに大分と再契約、更に東京ヴェルディやロアッソ熊本でも活躍していました。2009年には10ゴールを挙げる活躍をしたにもかかわらず解雇。5000人の署名もあったのですが。。。

その後町田ゼルビアでの活躍はご存じのとおりです。勝又選手との爆発的な破壊力は本当に脅威でした。


なぜ結果を出している木島選手がこうもチームを転々としているのか?

実は額面通りかどうかは分かりませんが某掲示板をはじめ、所属チームのブログなど見ると木島選手には素行の面でなかなか難しい面があるようです。

・采配に不満でユニフォームを脱いで投げつけてスポンサーからクレームが出て謹慎処分。

・無類のパチンコ好きでしょっちゅうパチンコ屋にいたのでサポーターが外に呼び出して説教するも翌日も同じ。

・マリノス時代に松田を中心に「木島を更生させる会」が結成されるも失敗。

・大分時代は木島タイムというのが存在し、練習は一番来るのが遅い木島が来たら開始で終わったら体のケアを一切せずにダッシュで繁華街へ。

・実力は認められながらも素行の悪さからJチームからは軒並み敬遠される。


まあ典型的な天才肌の選手にありがちなタイプなんでしょうが、果たして山雅のチームカラーに合うかどうか。そしてサポーターが温かい山雅のチームの雰囲気が木島選手をその気にさせることができるか。

とにかく才能は一級品。本来JFLにいるような選手ではないはず。とにかくサポーターも盛り上げて木島選手が気持ちよくサッカーに打ち込める環境を作る手助けを少しでもしていきましょう。。


私と山雅の出会い

どうでもいいことかもしれませんが、山雅と自分の馴れ初めについてお話したいと思います。

というより応援チームの変遷みたいになっちゃいますが、自己紹介みたいなもんだと思ってくださいw


自分は高校時代までサッカーをやっており、大学ではサークルで楽しむ感じでした。大学時代にJリーグが発足し、当時住んでいたのが千葉県であったのでジェフユナイテッド市原を一応応援していました。当時の市原はリトバルスキーや江尻篤彦、中西永輔、下川健一、後藤義一などが在籍していてそれなりに見ていてタレントは揃っていたと思います。ただし当時付き合っていた彼女が熱烈横浜フリューゲルスファンであったため、よく三ツ沢に拉致られていましたが。。。。

ところがそんな自分に転機が訪れます。1994年にたまたま埼玉の友人とNTT関東対柏レイソル戦で柏がJFLからJリーグ昇格をかけた試合のチケットをもらったので行ったところ、あのカレッカ様の柏J昇格の際の「Jリーグ!」という雄叫びを聞いてもうすっかりファンになり、それからというものすっかり柏レイソル贔屓になりました。


就職後静岡県浜松市に赴任し、磐田市を営業エリアにしていましたがジュビロ磐田には全く興味が湧きませんでした。静岡県はなにしろサッカーどころです。中部はエスパルス、西部はジュビロのサポーターが多くて、サッカーの話になると老若男女とも結構盛り上がりました。そこで柏サポーターとか言うと「は??」みたいな目で見られたもんですw


そんなこんなで静岡県に5年間暮らした後、長野県伊那市に転勤。正直嫌でした。

だってJリーグもない、プロ野球(中日とロッテのファンですがw)もない。おれは何を楽しみにすればいいのかと。。。しかもJFLもない。何にもないと思って仕方なく名古屋に遠征したりしてました。

伊那に来て1年半で塩尻市に転勤引っ越しをしました。たまたま新聞を見たらアンテロープ塩尻というチームがある事を知ったのです。更に北信越リーグに上がる松本山雅FCの事も新聞に載っていました。当時はあまり興味なかったので捨ててしまいましたが。今になってみれば残念。。。

当時流行っていた「サカつく」で自分のチームにアンテロープ塩尻と付けたものですwww

そんな中初めての山雅を直に見る機会がやってきました。

スポンサー関係で試合を観に行く機会があり初アルウィンです。なにしろパラグアイ代表がワールドカップの時に使ったと聞いていたので気にはなっていましたが、想像以上に素晴らしいスタジアムがそこにはありました。日立柏サッカー場よりもすげーなと思いました。が、サポーターがまだまだ少ない。もちろん地域リーグを見たことがなかったので、今になって考えればあの当時でも一般的な地域リーグの水準以上だったのでしょうが。。。

確か相手はJSCだったと思います。当時知っていたのは奈良安剛選手三本菅崇選手、土橋宏由樹と監督の辛島さんくらいですかねただサポーターはやたら熱いなという印象はありました。今より人数がずっと少なかったせいか余計ひとりひとりの声が響くんですよね。三本菅選手のチャントはその時からずっと頭に残ってますw


そこから山雅の事はずっと気になっていて2006年の全社の日精樹脂とのPK戦も観に行きましたし、翌年の信州ダービーも負けましたが行きました。そこから上田市に転勤になったんであまり行くこともなくなってしまったんですが、2008年にmixiを始めてからマイミクさんに山雅サポーターがいて自分もどっぷりつかってきてしまいました。しかし一緒に行くメンツがあまりいないので一人観戦も結構多かったです。そうじゃない時は会社の後輩を飯で釣ったりして連れて行きましたがwww


去年はようやく一人一緒に観に行く友人ができたんですが、遠征は仙台、高崎、浜松くらいでした。今年はもっと輪を広げられればなと思います。やっぱりゴール裏で気兼ねなく応援したいと思いますから。今年は琉球戦も応援に沖縄も行くぞ!


mixiを見てると山雅コミュの人数も松田効果からか急増しています。人気アップはとてもいいことだと思うんですが、やはり応援する気持ちが一つにまとまっていけばいいですね。昔よく観に行ってた横浜FもJリーグになってサポーターが増えたため、元からいた応援団と新しくできたサポーター団体がいくつか分裂してできてそれぞれ違う応援をバラバラにしていました。

山雅のサポーターが分裂応援になったら選手も本当の力を発揮しにくいでしょうし、心を一つに応援するところが何か分裂している状態が観客席を殺伐としたものにしてしまいかねないですよね。

「思いはひとつ」で頑張っていきたいものです。


柴田コーチ

山雅に待望のお二人のコーチが加入。

選手の育成やきめ細やかな指導が可能となり、かなり私としては嬉しいです。


そんな中S級ライセンス保持者の柴田コーチに興味をもったので調べてみました。


ウィキペディアによれば柴田峡(しばた・けい)コーチは選手としては全日空(のちの横浜フリューゲルス)→東京ガスでDFとしてプレーされていました。その後東京ガスの下部組織のユースチームで指導にあたり、高円宮杯優勝など数々の実績を挙げています。この時の教え子は梶山陽平・馬場憂太・李忠成らでした。

その後指導の舞台をヴェルディユースに移し、やはり高円宮杯を制するなど若手世代の指導に実績を挙げてきたようです。更に2009年には高木琢也監督のもと、トップのコーチに就任。この間の教え子としてはあの森本貴幸、河野広貴、高木兄弟、柴崎晃誠らでした。

更には「競技面だけでなく、礼儀作法や学業面についても厳しい指導をし、一社会人として成熟した人物を育てる方針を貫いている。」というポリシーをお持ちのようです。


FC東京ユース時代の教え子の石川高大氏(元FC刈谷)は柴田コーチを評して

「(柴田コーチの存在は)大きいですね。一緒にサッカーやってて凄く楽しかったですし、スクールのときはゲームばっかりだったので凄く楽しくて、自分より上手い人という感じでしたね。ジュニアユース、ユースに入ってからはホントにいろんなことを学びましたし、人間的にも成長できたと思います。それも柴田さんの指導のおかげだと思ってますし、とても感謝しています。今、思うとホントに凄い人だなと改めて思いますし、心から尊敬しています。それはこれからもずっと変わらないですし、僕の大切な恩師であり続けます。」


またサッカーマガジンでもヴェルディユースの走り負けない強さの秘密をこう語っています。

「技術にあぐらをかき才能を伸ばそうとしない、そのメンタリティーは良くない、これはサッカーだけでなく社会に出てからも言えること。自分の限界まで突き詰める努力をさせたかった。」

「彼らはあんまり努力しなくても、勝ってきている。実際中学の時には全国優勝している。でも高校になると周りも成長してきて才能だけじゃ通用しなくなる。そうなったとき次の引き出しがない。 」

また指導方法を端的に表して

苦しい練習をすることでメンタルが鍛えられる。それが自信につながる。技術は環境に左右されるが、走ることで培ったものはそう簡単にはぶれない」 

「選手たちは全員プロになりたいと言う。でもそんなことは小学生でも口にすることなんです。高校生にでもなればもっと現実的にプロというものを考えないといけない。具体的には年代別の代表を目指せと言ってます。個としてみられるプロの世界に行くのだから、絶対的評価に耐えれる選手にならないといけない」
というようにかなり厳しい練習や現実的な目標を見据えた指導方法のようですね。

また教員免許を持ち人間教育という面でも力を入れておられるようで、ヴェルディユースコーチ時代に「よみうりランドの中に学校を作りたい」という構想を話していたようです。


かなり熱い指導者のようです。吉澤監督や本間コーチとも連携を取って、頑張って欲しいと思います。