“信心”の名のもとに監視される娘


結婚式を無事に終えたあと

夫が先にアメリカへ渡るまでの約2週間。


私は仕事の引き継ぎをしながら

自分の部屋や夫の部屋の整理

アメリカで必要な家電の買い出しーー

変圧器や現地でも使える炊飯器を探しに

秋葉原へ足を運ぶなどまだ

見ぬ海外生活の準備に追われていました。



そんな貴重な週末のある日。

父から連絡が入りました。


「池袋のお寺に、夕方のお経に来るように」


行かなければ

「信心が足りない!」と怒鳴られる――


私はそう分かっていたので、

「買い物が終わったら行くよ」と返事をしました。



池袋のお寺は、都心にあるため参拝客も多く、

夕方の時間帯は人で賑わいます。

私たちはお経の時間にあわせて、お寺を訪れました。


けれど、夕方のお経が終わったころ

私の携帯に再び父からメッセージが届きました。


「お前たち、ちゃんと来てたのか?

 見渡したけど、お前らが来てるの見えなかったぞ」



父は、お寺に来ていたのです。

私たちが来ているかどうか、見張っていたのです。



「信心」とは、一体何なのでしょうか。

誰かを縛り、見張り、疑うものなのでしょうか。

あのとき感じたのは、信頼ではなく、支配でした。



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明るい内容ではありませんが、

前向きに回復していくための記録として綴っています。

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