産後1ヶ月もしない頃から、私は全身の痛みに苦しんでいました。
それでも毎日、治療によって「きっと2年後には良くなる」と信じて
家族の助けもなく、海外で幼い我が子を育てる日々。
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そんな中、我が子が生後7ヶ月を迎えた頃、私は渡米してから初めての一時帰国をすることになりました。
最初に訪れたのは夫の祖父母がいる九州。挨拶もできずに出国した親戚にも会えて、生まれて7ヶ月の我が子を囲んでみんなが喜んでくれました。
その後、母が一人暮らしを始めたアパートを訪れました。
母は、私の出産を手伝うためにアメリカに来てくれたあと帰国し、1ヶ月ほどして父と別居を始めたと聞いていました。
新しい生活を始めた母の部屋を訪れるのは、この時が初めてでした。
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久しぶりの帰省。
私の育った部屋ではないけれど
父と離れて、やっと落ち着いた母と、心を通わせられるかもしれない。
そんな期待を胸に、私は扉を開けました。
でも、どこか違和感がありました。
母は、しきりに携帯電話を見てはニコニコしているのです。
目の前の私ではなく、画面の向こう側に意識があるように見えました。
——なんだかおかしい。
ある日、子どもを連れて友達と会い、帰りが少し遅れてしまいました。
駅からバスで向かいながら、母にメールをしました。
そしてアパートに着き、インターホンを鳴らしました。
何度か押しても、応答がありません。
5分ほどして、隣の部屋から母が出てきました。
「……何してたの?」
私は混乱しながらも、何かが胸に引っかかって仕方なかった。
その違和感は、ある瞬間、確信へと変わります。
見てはいけないと分かっていながら、私は母の携帯を見てしまったのです。
それは、母に嘘をつかれているような感覚にどうしても耐えられなかったから。
そして——
「娘として、ちゃんと見てほしい」
「目の前の私を、受け止めてほしい」
そんな思いが、溢れそうになっていたから。
それに、私の中にはもうひとつ、積もった感情がありました。
私は子どもの頃、父に何度も机やカバンを開けられ、携帯電話の中身まで見られていました。
プライバシーは守られず、常に“管理されている”という感覚がありました。
母はその状況を知りながら、止めることはありませんでした。
親の側は自由で、私は自由を持てない。
そんな不公平さに傷つき続けてきた過去が、あの時ふと蘇ったのです。
携帯には、隣に住む男性と、女としての母のやり取りが残っていました。
海外から、初めて孫を連れて帰ってきたというのに——
なぜ、母の意識は私たちではなく、隣の男性に向いているのだろう?
やっと父と離れたのに、今度は私と向き合ってくれると思ったのに。
せめて私が滞在している2週間半ほどは、私に向いていて欲しかった。
その気持ちを母に伝えても、彼女は正直に認めようとはしませんでした。
はぐらかされ、何もなかったかのようにふるまう母。
ただただ、悲しかった。
その当時まだ実家に住んでいた妹や弟から聞いた話では、
実家では父が、すでに別の女性を家に住まわせていたそうです。
——離婚がまだ成立していないうちから。
私は、そんな家庭のために身を削って働き、家計を支え、家族を守ろうとしてきました。
あの努力は、誰のためだったんだろう?
私が信じてきた「家族のかたち」って何だったんだろう?
もちろん、もし私が充分に愛されて育っていたなら、母の恋愛も父の恋愛も、それぞれ応援できたと思います。
でも当時の私は、ようやく一時帰国できたその瞬間にも「親子の関係」よりも優先されるものがあると知ってしまった——
その事実が、ただただ苦しかったのです。
私は長女だったから、ずっと我慢してきたんだよ。
でもね、ずっと、心のどこかで待っていた。
いつかきっと、お母さんに甘えられる日が来るって。
私の育った環境を書きました
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読んでいただきありがとうございます。
明るい内容ではありませんが、
前向きに回復していくための記録として綴っています。
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