翌年の5月、私は2度目の一時帰国をしました。

前回の帰省では、母の態度に引っかかることはありましたが、時間がなければ心の通う会話もできないと思っていました。


そして、私の祖母、妹、弟とも会いたかった。

実家には父がいたため、娘を連れて行くことはできません。

娘に何かあったら…その恐怖がどうしても拭えなかったからです。


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祖母がひ孫と会える時間は、私にとってもかけがえのないものでした。

祖母は娘を見て、何度も何度も「本当に可愛いねぇ〜」「お人形さんみたいに可愛いねぇ」とニコニコしてくれました。

私はその笑顔がとても嬉しくて、温かい時間に胸がいっぱいになりました。



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ある日、娘の服を洗ってベランダに干していた時のことです。

普段は大人ひとりの生活なので、ベランダに干された小さな服は目立っていたのだと思います。


オムツを捨てにベランダに出た瞬間、何か視線を感じました。

道路の向こう側に目をやると、バイクに乗った父と、後ろに乗っている女性が、私の方をじっと見ていました。


全身が凍りつくような感覚。


私は表情も変えず、予定通りオムツを捨て、そのまま部屋に入りました。

心臓がドキドキして、身体の芯が冷えていくようでした。


しばらくして、母から携帯に連絡がありました。

「実家に忘れていった鏡を、お父さんが今から届けに来るって言ってる」とのこと。


これは明らかに、“私に会いに来ようとしている”ということでした。


どうしよう。

娘はまだ小さくて長時間外出なんてできない。

父がいつ来るのか、いつ帰るのかも分からない。

玄関のチャイムが鳴ったら、ドアの前でヤクザのような口調で

怒鳴られるかもしれない。

ドアをドンドンと叩かれたらどうしよう。

鍵を開けられたらどうしよう。

(父は簡単な鍵なら開けられ、実際に車の鍵を開けたりもしました)


私は、窓をすべて閉め切ってクーラーをつけ、娘と部屋に閉じこもりました。

そして、近くの警察に電話をして、数時間家の周りをパトロールしてもらうようお願いしました。


私はこういう人だと分かっていたはずなのに、

それでも「自分の親がここまで…」と思う気持ちと、

娘を守らなければいけないという緊張感とで、頭がいっぱいでした。


結局その日、父が母の家のチャイムを鳴らすことはありませんでした。

けれど、いつ鳴らされるか分からないという緊張感の中で過ごしたあの数時間は、今でも体に残っています。


そうして2週間ほどの滞在を終え、私は再びアメリカに戻りました。

楽しかった思い出もありましたが、心のどこかに不安と傷を残したままの帰省でした。



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