AKBペナントレース レギュレーション
「人気」という最も数値化しずらいものを指数として表し、競争させるという途方もない挑戦。平等とか公平とかを求める狂信AKBヲタ達に火を油を注ぐ試みだ。よくぞ、これをやろうと思ったな。
競争ない団体に成長なし。と言われるように、すでに外部に敵なし状態のAKBにおいて、メンバーの競争心を即すには自分たちの中で競争心を煽るしかない。
「総選挙があるだろうが!」というが、昨年のさっしー1位という「お祭り」で過酷な競争イベントとしての役割は「総選挙」では終了した。
さっしー1位の際に、優子が「腹を抱えて笑ってしまう」と言ったことは、あの瞬間の最高のファインプレーだった。しかし、実はAKBの名を世に知らしめた「ファンに可視化したガチ競争」に終止符を打ってしまったのだ。AKBにおいての売りである最大級のリアルを終わらせた。
そこで、新たな可視化したガチが始まる
そこで、今度は個人だけではなくチームとしての「可視化したガチ」を見せること同時に「ブームから永続性」のある団体を目指す試みとして始めたのがペナントだと思う。
秋元康が常々、Jリーグやプロ野球、そして宝塚のように永続した団体を目指したいと語っていた。その大いなる第一歩が、このペナントが成功するかどうかで、AKBが永続団体として本当の価値観が見えると思う。
箱押し文化の浸透
また、SKEが作った「おらがチーム」という箱押し文化を各グループに浸透させる目的もある。
自分の好きなメンバー個人を応援するだけでなく、自分の住む地域に近いグループを推す楽しみを提供することだ。
それは、そのグループがある限り、推しメンが卒業や活動辞退、もしくは移籍したとしても楽しめる構造だ。だからSKEはメンバーが大量卒業しても「箱押し文化」があるのでファンは団体としてのSKE推しの熱量が落ちない。
また、SKEには「対本店(AKB)」という競争意識が高い。ただ、ほかのグループはその熱が薄い(これはメンバーもファンもそうだ)。
これは競争原理が可視化した状態で見えなないからだ。安定の一種仲良し状態はファンのモチベーションは落ちる。人間の習性として競争がないと堕落していくと同じ原理。
それゆえ、「最強チームは俺たちのチームだ!」というのは個人の主観だけではなく、数値化された客観性が示されてこそ、熱くなるし、リアルに感じるゆえ、ペナント形式を導入したと考える。。
世の中に完全な平等や公正なんかない
このペナントレースは人気という見えないものを競うものなので、いくら平等や公正を鑑みても完全なものは作れない。本店を中心とした人気メンを抱えるグループが有利なのは誰もが分かるし、文句も言いたくなる(でも、巨人絶対有利でもプロ野球の競争原理は成り立っている)。
しかし、その中でメンバーの向上心やファンの熱を維持するための壮大な試みだと、みな理解すべきだ。
AKB48グループが永続的団体になる一歩として、メンバーやファンは捉えるべきだ。そして、乗ってみるべきだ。
そう考えれば、「大組閣祭り」の大規模なグループ編成も理解できる(各グループのイズムを残しつつ、戦力の均等化を図った)。
公演、握手会、投票にブッコめ
グダグダ文句を言っている暇があったら、公演に応募し、握手会に行き、総選挙でブッコめ。それがメンバーやチームへの一番の貢献だ。
「俺らになんのメリットがあるんだ?」といういう輩がいるが...。
AKBに何かを求めて楽しもうとするなら、AKBファンなんか辞めちまえ。AKBは「夢に向かってがむしゃら戦う者」を応援することを楽しむエンターテイメントなのだから。
「俺たちファンを楽しませろ!」という顧客への一方的な娯楽を求めるなら、もっとプロ化した芸能や歌手のファンになるべきだ。
AKBはかのJ.F.ケネディが国民に向けてスピーチした「国に何かを求めるより、国民として国に何ができるかを考えてほしい」という状態に似ている。
前向きにとらえれば、「AKBはファンの力で作ってほしい」ということだろうか。
ファンと大衆の差別化
このペナントレースによって「金と時間」を使えるかどうかで?AKBの楽しみ方が大いに違ってくるはずだ。
全てのエンタメや興行(プロスポーツも含む)がそうだが、「金と時間」が使える者がファンであり、そうでないものは大衆だ。
タダ見と金を払うものが同時に楽しめる平等性は不公正で、「金と時間」を大いに使える者はより楽しめるのが公正なのだ。
それが、このペナントで浮き彫りにさせることを期待したい。