11日は予定の詰まっている忙しい日でした。
午前。
地元シニアサークルの歌う会がありました。
3月なので、春にふさわしい歌、仰げば尊しや蛍の光などの卒業にまつわる歌を用意していきましたが、
何しろ3月11日。4年前の津波の経験がまだ生々しく、まるで昨日起こった出来事のように津波の話で盛り上がってしまいました。
○○浜出身でしょ? うん。あそこはみんな流されで何にもなくなってしまった…。
多賀城は自衛隊の地元だからいい方だおんね。屋根さ上がっても次の日にはへりで助けられだし…。
午後。
コーラスの仲間たちと、老人ホーム訪問。
行くといつもとても喜んでくださるのです。
高台なので津波には遭いませんでしたが、このホールが避難場所となって何日も床に布団を敷いて過ごしたということでした。
コーラスのメンバーに、塩釜市でケアマネをやって来たプロがいらっしゃるのですが、とにかく何日も家に帰れないほど凄まじい日々だったと・・・・。
一緒に歌える曲をいくつか歌詞を用意していきました。
地震の起きた時間に、みんなで花は咲くを一緒に歌いました。みんな大きな声で合わせてくださいました。
震災で犠牲になられた方々を追悼し、震災の経験、教訓の伝承するために震災のモニュメントが制作されていましたが、除幕式が行われました。
パパが参加し、写真を撮ってきたので、様子をちょっとだけ披露します。
高さは多賀城を襲った一番高い津波の高さ
ぴかぴかな円筒の中には、亡くなった方々の名前が刻まれています。
ウンチクの書いてある説明版など、あとで読みに行って来ようと思います。
夜。
追悼の万灯会が行われました。
古代、貞観の地震(869年)で犠牲になった人々の供養のために万灯会が行われていたということから
昼にとっても風が強くて、中止になるか心配しましたが、風が収まって、よかった。
受付で紙コップを受け取ってメッセージを書いて・・・・
市内で亡くなられた188名の方々の慰霊の意味を込めた188個の素焼の燈明皿と・・・・
紙コップのメッセージ光。
コップが増えていくにつれて文字が太くなっていきます。
さて、3月11日は私共にとってもう一つの記念日。はじめてマゴが授かった日。
そう。私がおばぁになった日。
誕生日のプレゼントを届けに寄ったら、まだ帰ってきていませんでした。どうやら彼女は目いっぱい充実した日々を送っている様子。会えなくてちょっと残念。
追記
メディアでは、1日中震災関連のことで持ちきりでしたね。
で、12日からは地震津波って、なんのこと? ってならないようにいつまでも関心をもっていてほしい。
この震災でたくさんの人が犠牲になったこと、忘れないでほしい。
だって、明日は自分の身に起こることかもしれないから。日本中どこに住んでいてもね。
とくに、福島の復興は4年経ってもやっと始まったばかり。
沢山のトラックが走り回っていても、震災関連工事は、人手が足りない、とか入札が不調だとかでなかなかすすまない。
なんで?
まずは被災地の復興に力を入れなくちゃならないはずなのに、オリンピックの工事が優先ですか・・。ヽ(`Д´)ノ
原子力発電所の事故。絶対安全だと言われていた原発の事故は本当に凄まじい。
あの、大量の黒い袋をニュースで見たけれど、涙が出るわ。
その落とし前もついていないのに、原発を再稼働させるって?
どうしてそんな決断が安倍さんは出来るんだろう。
宮城県でさえ行方不明者の捜索がいまだに続いているのに、福島の沿岸ではそれだってまだまだこれからなのに。