【感動】単身赴任の父が残したノート〜忘れていた電話を、父は書き留めていた〜|とほほブログ | とほほとエッヘンのブログ

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とほほの日も、えっへんの日も。70歳サイクリストの遊び心ライフ


前回の「先生の赤ペン」、読んでくださった方、ありがとうございます。今回は、不器用な父と娘の話です。


 

岸本理恵(38歳)の父・修は、理恵が小学三年生のときから、大阪で単身赴任をしていた。

父は無口だった。電話は月に一度あればいいほうで、帰省するのも年に二、三回。

「仕事が忙しいんだろうな」と子どもながらに思っていた。

でも毎月、必ず荷物が届いた。季節の果物や野菜が、段ボール箱に詰め込まれていた。

りんごのとき、みかんのとき、北海道のじゃがいもが入っているときもあった。当たり前のことだと思っていた。

ただ一度だけ、荷物が来ない月があった。

理恵が二十六歳のとき、秋のことだ。

「今月は忘れてるんだね、やっぱり」と当時付き合っていた人に言った記憶がある。

ちょっとだけ、さみしかった。

父が七十一歳で肺がんで亡くなったのは、去年の秋のことだった。

理恵と弟で実家を片付けていたとき、父の引き出しの奥から、小さなノートが出てきた。

日付と、短い一文が、ずらりと並んでいた。

「十月 りんご 理恵は食べてくれたかな」 

「十一月 みかん 今年は甘いといいが」 

「五月 じゃがいも 理恵も料理できるようになったろうか」

ページをめくるたびに、日付が進んでいく。

二十年以上分の記録だった。

荷物を送るたびに、父はこのノートに書いていたのだ。

届いたかどうか。食べてくれたかどうか。自分の見えないところで、娘がどう過ごしているか。

 

そして、あるページで、理恵の手が止まった。

「今日、理恵から電話があった。『お父さん、ちゃんとご飯食べてる?』と言ってくれた。嬉しかった」

理恵は、その電話を覚えていなかった。

きっと仕事の合間に、何気なくかけたんだろう。

三分も話さなかったんじゃないか。でも父は、それを書き留めていた。

 

さらにページをめくると、あの「荷物が来なかった月」の記録があった。

「今月は送れなかった。体が動かなかった。ごめんな、理恵」

理恵はノートを閉じた。閉じてから、また開いた。また閉じた。

あの月、父は入院していたのだ。

でも一言も言わなかった。心配をかけたくなかったんだろう。

翌月からまた、何事もなかったように荷物が届いた。

最後のページに、力の弱まった文字で、こう書いてあった。

「荷物を送ることが、俺にできる精一杯やった」

 

理恵はその場にしゃがみ込んだ。

涙がこぼれて止まらなかった。

電話してくれれば良かった。会いに来てくれれば。でも父は、そういう人ではなかった。

言葉より先に、荷物が届いた。それが父のやり方だった。

そして理恵は気づいた。

自分が忘れていたあの三分間の電話を、父は大切にしまっていた。

ありがとうを言えないまま父は逝ってしまった。

でも、自分のあの電話も、確かに届いていたんだと。


 

とほほは、この話を書いていて、涙が止まりませんでした。

「自分が忘れていたことを、相手は大切に覚えていた」ということが、あるんですよね。

何気ない一言、何気ない電話。でもそれが、誰かにとっての宝物になっていることがある。

自分も、誰かに「ありがとう」を言い忘れていないか。少し、考えてしまいました。

 

次回【感動シリーズ第3弾 第3話】は、二十年間、桜の季節に一人でお弁当を食べ続けた男の話です。

第3弾、最終話になります。

 

それでは、また!とほほでした😊

 

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 総走行距離日本一周チャレンジ
 4000kmまで残り68.91kmになりました。今週は、通勤とテニスです。
江ノ島までは、家の引っ越しもありなかなか時間がとれません。ソロキャンプも
行けない状況で、かなりもやもやしています。早く引っ越しが終わってソロキャンプに
行きたいのですが、6月は梅雨シーズンで厳しいかなとも思っています。
今週は、4000km目指して頑張ります。私の生まれた山形ももうすぐです。
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📅 第25週 📊 今週: 122.57km
📍 累計: 3931.09km / 8000km
🗾 現在: 横浜 → 佐渡島付近
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残り 4068.91km


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