今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -64ページ目

今日という日【12月2日】

■マルタ会談開始

1989年12月2日。

マルタ会談」は、1989年12月2日から12月3日にかけて、地中海のマルタで行われたアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦両国の首脳会談。これをもって、44年間続いた東西冷戦は終結した。

東欧革命ベルリンの壁崩壊を受けて、アメリカ合衆国大統領「ジョージ・H・W・ブッシュ」とソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト連邦共産党書記長「ミハイル・ゴルバチョフ」による首脳会談で、第二次世界大戦末期のヤルタ会談に始まった米ソ冷戦の終結を宣言。これを標語的に「ヤルタからマルタへFrom Yalta to Malta)」という。

「ブレント・スコウクロフト」をはじめとするアメリカ政権内では当初から「マルタ会談」は「時期尚早」として、ソ連のスタンドプレーを許す結果になるとして反対していたが、フランスのミッテラン大統領、イギリスのサッチャー首相をはじめとするヨーロッパ首脳、およびアメリカ合衆国議会はゴルバチョフとの対談を説得した。マルタ会談では特に何の合意もなされなかった。主な目的はアメリカとソ連が「鉄のカーテン」を引き上げることにおける喫緊の変更点について会談を持つことにあり、これをして冷戦の公式な終結と見られた。局所的に見れば、冷戦時代の終結に保証を与えるために緊張を緩和し、東西関係というものに大きなターニングポイントを与えた。会談を通じて、ブッシュ大統領はペレストロイカにおけるゴルバチョフの指導、およびその他の共産圏の改革を支持した。

共同声明に当たって、ゴルバチョフは、
「世界は一つの時代を克服し、新たな時代へ向かっている。我々は長く、平和に満ちた時代を歩き始めた。武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった。」「私はアメリカ合衆国大統領に対して、アメリカ合衆国と戦端を開くことはもはやないと保証する。」

これに対しブッシュ大統領は、
「我々は永続的な平和と、東西関係が持続的な共同関係になることを実現することが出来る。これはマルタで、ゴルバチョフ議長と私がまさに始めようとする未来の姿だ。」
と述べた。

今日という日【12月1日】

■カイロ宣言

1943年12月1日。

カイロ宣言」は、第二次世界大戦中の1943年に開かれた「カイロ会談(Cairo Conference)」を経て示された宣言。連合国の対日方針などが定められた。「カイロ宣言」は署名がなく宣言として扱うことが適切かについては議論もある。

1943年11月22日、アメリカ合衆国大統領「フランクリン・ルーズベルト」、イギリス首相「ウィンストン・チャーチル」、中華民国国民政府主席の「蒋介石」によってカイロ会談が行われ、12月1日に発表された声明が「カイロ宣言」と称される。「蒋介石」の通訳として「宋美齢」も参加した。この宣言には公文書と呼ぶべきものが現存しておらず、残されているのはメディアリリースなどにより公表されたその内容のみ。この声明は後日、連合国の対日基本方針となった。

・米英中の対日戦争継続表明
・日本国の無条件降伏を目指す
・日本への将来的な軍事行動を協定
・第一次世界大戦により占領した太平洋の全島奪還、及び日本が中国領土から奪った領土を中華民国へ返還(例として満洲、台湾、澎湖諸島)
・日本の、強欲と暴力により獲得された全領土剥奪
・朝鮮の独立

ここに示された日本の領土に関する取り決めは、1945年8月に発されるポツダム宣言に受け継がれることになった。

この会談に「蒋介石」を出席させたのは「ルーズベルト」であり、日本と休戦協定・単独講和を結ぶ事で抗日戦を断念して連合国の戦線から脱落する恐れがあった中国を米英ソの三巨頭に加えて祭り上げ、台湾の返還や常任理事国入りさせて激励させて士気を高めさせるためと言われている。対戦中、親英米派である「蒋介石」が英米からの支援が少ないことに不満を持っており、日本に寝返るのではないかと噂が絶えなかったが、支援がふんだんに貰えると聞いて夫人同伴でカイロに来た。そして日本を無条件降伏させるまで戦う事を約束し、蒋介石が日本と停戦する事を禁じた。

今日という日【11月30日】

■シティズ・フォー・ライフの日

1786年11月30日。

この日、神聖ローマ皇帝レオポルト2世が、ヨーロッパでは初めて死刑制度の廃止を宣言した。

Cities for Life Dayシティズ・フォー・ライフの日)」は、世界約573都市で死刑制度の廃絶の為に起こされる運動。

2005年11月30日には、アフリカの死刑制度廃絶の為の会議「Africa for Life」をフィレンツェ(トスカーナ)で開催、アフリカ14ヶ国の司法大臣が出席した。