目を覚ませ!
『五月病再び』
ども!TK89です。
「露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
豊臣秀吉、辞世の句です。
そして今の自分の気持ちを表してくれてる句です。
「露」とは、早朝、葉の上につく水滴。太陽が昇ると、瞬く間に蒸発し、どこに露があったのか、跡形も残らない。「難波」とは、豊臣秀吉が威勢を張った大坂のこと。天下を統一し、関白になり、大坂城を造り、聚楽第を築き、金と女にたわむれて遊んだ……、今から思えば、朝露が消えるような、アッという間の一生だったな……。夢の中で夢を見ているような、はかないものであったと詠んでいる。
そ~んなスケールのでかい話じゃないんだけど、連休終わっちゃって、自分の10連休は過ぎてしまうとアッという間だったということ。連休明けはいつもこうなる。休日の最終日は明日から頑張ろうって思ってても、翌日になると、ど~もポカーンってなっちゃうんだよね。
朝、会社でちょっとしたミーティングがあったんだけど、ミーティング後、ある女性社員が自分に言う。
「あれ?ちょっと酒くさくない??」
そりゃ昨日寝れなくて3時過ぎくらいまで晩酌してたさっ。法事で昼から飲んでたし、いつもよりアルコールの量は多くなってたよ。って心の中で答えてた。そんなだったんで今日は午前中ずっと内勤してました。
やる気スイッチが自分のどこにあるのか、未だ見つけることは出来てないけど、早くONにせねば。10日間、つまり月の1/3も自分のしたいようにしてたんだもんなぁ。
チャオ!
今日という日【5月9日】
■伊豆半島沖地震
1974年5月9日。
午前8時33分27秒、伊豆半島南端、石廊崎沖南南東35kmを震源とするマグニチュード6.9の地震が起こった。静岡県賀茂郡南伊豆町で震度5を記録し、山崩れなどが多数発生し、死者30人、全壊134棟など大きな被害を出した。この地震により、石崎廊から北西方向へ延びる長さ約5.5kmの断層(石崎廊断層)が出現した。
この地震は、朝8時半過ぎに起こったため、地元の漁師はすでに漁に出た後であり、下田市などに通勤する若者や幼稚園、小、中、高校などへ通学する子ども達は家を出た直後であった。その為、山崩れで生き埋めになったのは、家に居たお年寄りや主婦、幼児が大半であった。子ども達だけが残されるケースもあれば、両親や妻子を亡くし、働き手だけが残されるケースもあった。さらに、漏れたプロパンガスに引火したことにより、埋没した家屋から火災が発生し、数日間燃え続けた。
この地震以後、伊豆半島の地震活動が活発になり、1976年に河津地震(マグニチュード5.4)、1978年には、伊豆大島近海地震(マグニチュード7.0)が発生している。
被害総計、死者30人、負傷者102人、家屋全壊134戸、一部損壊240戸、全焼5戸。山崩れ、崖崩れ101箇所。