今日という日【7月17日】
■ひめゆりの塔事件
1975年7月17日。
沖縄県糸満市で、過激派による皇太子明仁親王および同妃に対する2つのテロ事件が発生した。
皇室 としての第二次世界大戦後初の沖縄県訪問に際し、皇太子および同妃に、新左翼 党派・沖縄解放同盟準備会(沖解同(準))と共産主義者同盟(西田戦旗派)の各メンバー2人が、潜伏していた洞窟(ひめゆりの壕)や白銀病院から火炎瓶やガラス瓶、スパナ、石を投げつけたテロ事件。皇太子および同妃や関係者に大きな怪我はなかった。
沖縄復帰後に開催された沖縄国際海洋博覧会に際して、皇太子および同妃が沖縄県を訪問し、献花のために糸満市にあるひめゆりの塔を訪れることが伝えられた。これは皇族による第二次世界大戦後初めての沖縄訪問だった。戦後まもなく全国各地を回った「戦後巡幸」の際、昭和天皇は「戦争を防止出来ず、国民をこの災禍に陥らしめたのはまことに申し訳ない。この際、位を退くことも1つの責任の果たし方だろうが、私は親しい者を失った人、困っている人の所へ行って慰めてやり、働く人を励ましてやって、1日も早く日本を再興したい。そうすることが新憲法の精神に従った国民と皇室との関係を確立できるのではあるまいか」と、その志を側近に述べていた。
ご縁です
ども!TK89です。
今回のボランティア活動も初日を終え、ボランティアセンター周辺は9時を回れば静かになった。
あの大震災から2度目のボランティア活動。今回も前回同様、宮城県の亘理町復興の手伝いに来た。
前回はGW中、今回はそれから2ヵ月の時が経った。やっぱり時は流れてて、その辺に散乱していた流された車や家、物などはある程度まとめられていた。ただ、その瓦礫の山がスゴい!それは以前よりもちろん増えてて、行き場は決まってなさそうで、そこにそびえてる。どうなっていくんだろう。
今回も来た、亘理町のボランティアセンター。案件もだいぶ減ってきたよう。ただ、そのなかでもやはり手伝いを必要としている人がいる訳で、今回の作業もヘドロの除去作業や写真や物の洗浄。流れ着いた物の撤去など。
今回亘理町を訪れて、個人的にスゴく熱い思いが込み上げる出来事があった。
前回一緒に作業をした方々と再会があったこと。そして今回も一緒に作業をすることに。こういう縁が個人的に嬉しくてたまらなかった。
明日も同じチームとして活動する。
自分達は明日活動したらまた帰る。
また後ろ髪引かれる思いをするんだろうな。
しっかり手伝いさせてもらって帰りたいと思う。
それではおやすみなさい。
チャオ!
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今日という日【7月16日】
■マラカナンの悲劇
1950年7月16日。
「マラカナンの悲劇」は「マラカナッソ」とも言われ、ブラジルのリオデジャネイロの「エスタジオ・ド・マラカナン」で行われた「1950 FIFAワールドカップ」の決勝リーグ第3戦、ブラジルvsウルグアイの試合で、ブラジルが優勝を逃したことを指す通称。
開催国として悲願の初優勝を目指していたブラジル。「マラカナン・スタジアム」には199,854人の観客が集まっていた。
後半開始2分に「フリアカ」のゴールでブラジルが先生し、ブラジルの優勝が決まったかと思われた。ところがウルグアイは後半21分に「スキアフィーノ」が同点ゴール、後半34分に「ギジャ」が逆転ゴールを決め、そのまま試合は終了。この結果、ウルグアイが2度目(3大会ぶり)の優勝を果たした。
会場であった「マラカナン・スタジアム」は水を打ったように静まり返り、自殺を図る人もいた。結局2人がその場で自殺し、2人がショック死、20人以上が失神し、ブラジルサッカー史上最大の事件となった。
この試合でブラジル代表は初めて白のホームユニフォームを着用していたが、この事件を忘れる為、以後、白いユニフォームの着用を避け続け、黄色(カナリア色)を着用している。
この日、「マラカナン」でブラジルの敗戦を目の当たりにし、自らの力でブラジル代表を世界一にすると誓った少年がいた。その名を「エドソン・アランテス・ド・ナシメント」と言い、後の「ペレ」であった。
「マラカナンの悲劇」から8年後、その「ペレ」は17歳になり、ブラジル代表に加わり、ブラジルはワールドカップ初優勝を果たすこととなる。