今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -363ページ目

今日という日【8月30日】

■マッカーサー、厚木に降り立つ


1945年8月30日。


1945年8月14日に日本は連合国に対しポツダム宣言の受諾を決定。「ダグラス・マッカーサー」は、降伏文書の調印に先立つこの日に専用機「バターン号」で神奈川県の厚木海軍飛行場に到着。厚木に降り立った「マッカーサー」は、記者団に対して第一声を以下の様に答えた。


メルボルンから東京までは長い道のりだった。長い長い困難な道だった。しかしこれで万事終わったようだ。各地域における日本軍の降伏は予定通り進捗し、外郭地区においても戦闘はほとんど終熄し、日本軍は続々降伏している。この地区(関東)においては日本兵多数が武装を解かれ、それぞれ復員をみた。日本側は非常に誠意を以てことに当たっているやうで、報復は不必要な流血の惨を見ることなく無事完了するであらうことを期待する。


その後、横浜の「ホテルニューグランド」に滞在し、降伏文書の調印式にアメリカ代表として立ち会った後、東京に入り、以後連合国軍接収した皇居前の第一生命ビル内の執務室で、1951年4月11日まで連合国軍最高司令官総司令部の総司令官として日本の占領に当たった。


占領下の日本では、連合国軍最高司令官総司令部、ひいては「マッカーサー」の指令は絶対だったため、サラリーマンの間では「マッカーサー将軍の命により」という言葉などが流行った。「天皇より偉いマッカーサー」と自虐、あるいは皮肉を込めて呼ばれていた。

今日という日【8月29日】

■「4分33秒」の初演


1952年8月29日。


ジョン・ケージ」作曲の「4分33秒」がニューヨーク州ウッドストックで初演奏された。

4分33秒」は演奏される場合にはピアニストによることが多いため、ピアノ曲として取り上げられることが多い。この曲は、音楽は音を鳴らすものという常識を覆す、「無音の」音楽である。


楽章を通して休止することを示す「tacet(=休み)」が全楽章にわたって指示されているので、演奏者は舞台に出場し、楽章の区切りを示すこと以外は楽器とともに何もせずに過ごし、一定の時間が経過したら退場する。

楽曲は、3つの楽章からなっている。それぞれの楽章の所要時間は、演奏者の自由。その楽器でさえ、ピアノでもヴァイオリンでもサクソフォーンの重奏でもオーケストラでもなんでもよい。その合計所要時間をこの曲の曲名とすることとなっている。

初演が、ピアニスト「デイヴィッド・チューダー」により、第1楽章33秒、第2楽章2分40秒、第3楽章を1分20秒で演奏し、その合計時間「4分33秒」がこの曲の通称となっている。


1940年代末のある日、作曲者の「ジョン・ケージ」は、ハーバード大学の無響室を訪れ「無音」を聴こうとした。彼が後に書いたものによれば、「二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと彼は、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音だと語った。」「ジョン・ケージ」は「無音」を体験しようとして入った場所で、なお音を聴いたことに強い印象を受け、「私が死ぬまで音があるだろう。それらの音は私の死後も続くだろう。だから音楽の将来を恐れる必要はない。」といい、無音の不可能性をみたという認識が、後の「4分33秒」へ彼を導いた。


ジョン・ケージ」は、この作品を気にいっている点として、演奏はいつでもできるのに、それは演奏されたときにしかいきはじめないことをあげている。

企業戦士サラリーマン

『闘え!サラリーマン』

どもTK89です。
今日は急遽、接待ゴルフへ。
実はダラダラ過ごしてやろうと思ってた本日。一度誘われてたものの、休日に愛想笑いやペコペコするのも正直辛いし、予定があるから今回はって断ってた。なのに人数が足りないからどうしても何とかならないかと言われたのが金曜日の夜。ホントは何にも予定無かったけど、何とか調整しましたっていう感じをアピールする為、金曜日の夜中に調整できましたって連絡した。どうせならやりましたよってアピールをね。

んで、朝起きて、ゴルフ場へ。言い訳だけど今回は元々やる気なかったし、スコアは最悪。ただただ疲れた。
お疲れさまでしたぁって帰宅。帰宅中もな~んかモヤモヤ。スコアも悪いし、勿論プレー代も払わなきゃいけない訳だし、やっぱ「つきあい」ってのは楽しくないなぁ。結局休日出勤した気分。テンション下がりっぱなし。
下がったままじゃ月曜日から辛いだけだし、車ん中で1人大熱唱。


リピートしてずっと歌ってた。頑張れ俺ってねぇ。結構テンション上がったかな。明日は月曜日。テンション下がったらこの曲で、アゲて行こうっ!!
チャオ!