今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -309ページ目

今日という日【11月17日】

■iPod発売


2001年11月17日。


アップル社が携帯音楽プレーヤー「iPod」を発売。

2001年10月23日に発表された初代「iPod」は、「1,000曲の音楽をポケットに入れて持ち運ぶ」を謳い文句に5GBのハードディスクドライブを搭載し、399ドルで発売された。評論家は単価を酷評したが、「iPod」は市場内ですぐにヒットした。


本体の重さは185g、コントローラーには「スクロールホイール」が採用され、実際にドーナッツ型の部分を回す仕組みだった。初代「iPod」はMacintosh専用で、Windowsには対応していなかった。その後2002年8月には299ドルに値下げされるとともに、Windows用が追加された。


前面寸法は最新モデル(iPod classic)までほぼ完全に維持されており、カセットテープと全く同じ大きさである。

11月16日の名言

過去に生きるな。


未来を夢見るな。


今の瞬間に集中しなさい。


ブッダ

今日という日【11月16日】

■ジョホールバルの歓喜


1997年11月16日。


マレーシアのジョホール・バルでサッカー日本代表が1998FIFAワールドカップ・フランス大会のアジア第3代表決定戦としてイラン代表と戦い、勝利を収めFIFAワールドカップ本戦に初出場を決めた。


当時、W杯アジア地区の出場枠は3.5。最終予選は10チームがA・B組の2組に分かれ、それぞれホーム&アウェイ方式にてリーグ戦を行い、各組1位の2ヶ国が本大会出場権を獲得。各組2位同士で第3代表決定戦を行い、この勝者が3番目の本大会出場権獲得。敗者はアジア4位としてオセアニア1位との大陸間プレーオフに回ることとなっており、このプレーオフに勝った国が本大会出場権を獲得する。


日本はB組に入り、当初、強敵は韓国しかいない楽な組と言われていたが、日本は最終予選の全期間を通じ、UAEと熾烈な2位争いをすることになった。最終予選B組の最終順位は韓国が勝ち点19で1位となり本大会出場を決めた。

A組はサウジアラビアが1位。2位はイランとなり、第3代表決定戦は日本とイランで争われることになった。第3代表決定戦はホーム&アウェイ方式での2試合開催は日程的に厳しく、中立地での一発勝負の実施が前提とされていた。当時のB組の展開から、UAEがB組2位になることが想定されていたため、第3代表決定戦はバーレーンで開催されることになっていたが、移動距離や気候など著しい不利を被ることになる日本協会はこれに猛反発し、西アジア勢同士ならバーレーン、東アジア勢同士なら韓国、西アジア勢対東アジア勢の対戦ならマレーシアで開催することとなった。

日本の第3代表決定戦出場がイランより先に決定したこともあり、マレーシアには日本のサポーターが多数押し掛け日本のホーム同然となり、かつイランは時差の点で不利を受けたため、会場決定も日本に有利に働いた。さらにイランは直行便が確保できず、試合直前にやっと確保できたのはドバイ、香港を経由した約36時間の移動。そのため体調を崩す選手が続出し、準備もできなかった。


日本は前半39分に「中田 英寿」のスルーパスから「中山 雅史」のゴールで先制、前半を1-0とリードして折り返す。後半に入るとイランが反撃、後半開始早々(開始25秒)の「アジジ」のゴールで同点とし、後半14分には「アリ・ダエイ」のゴールで2-1と逆転。後半18分、後のない日本の「岡田 武史」監督は「三浦 和良」と中山のツートップを同時に交代、2人に代え「城 彰二」「呂比須 ワグナー」を投入。この交代がハマり、後半31分に中田のクロスから城のヘディングで2-2の同点に追いつく。同店のまま後半を終了、ゴールデンゴール方式の延長戦に突入。

延長戦開始と同時に日本は、「北澤 豪」に代えて俊足FW「岡野 雅行」を投入。最終予選においてそれまで一度たりとも出場機会を与えられていなかったが、中田からのパスに何度もゴールに迫る。が、GKと1対1となった決定的なチャンスにおいて、シュートを打たず、ゴールに走り込んできた中田へ出した力ないパスをカットされてチャンスを潰したり、次のチャンスではシュートを打つもゴールの遥か上に打ち上げてしまう。

城はゴールへ迫った際、頭をポストに激しくぶつけ、意識が朦朧とした中でもプレーを続けていた。PK戦への突入が近付いた延長後半13分、呂比須が中盤で奪取したボールを中田がドリブルで持ち上がりペナルティエリア直前からシュート、イランのGK「アベドザデ」が弾いたルーズボールに岡野が走り込み、スライディングしながら右足でゴールに押し込む。日本はこの劇的なゴールデンゴールで悲願のW杯本戦初出場を決めた。


その瞬間、フジテレビの中継で解説を務めていた「清水 秀彦」は「やったー!」という歓声を上げ、ラジオで実況を務めたニッポン放送の「師岡 正雄」は「岡野だぁーっ!岡野!岡野!」と絶叫、岡田監督は諸手を挙げて岡野へ全力で駆けていった。翌日の新聞、ニュースには「日本中が歓喜した」との言葉が躍った。

散々外した末にとうとう決めた岡野はこのシュートについて「これを外したらもう日本に帰れないと思った」と後に語った。


この試合は地上波でフジテレビが生中継し、日曜日の深夜の放送にもかかわらず平均視聴率47.9%の高視聴率だった。