今日という日【1月23日】
■プエブロ号事件
1968年1月23日。
「プエブロ号事件」は、アメリカ海軍の環境調査艦プエブロが北朝鮮に拿捕された事件。
1968年1月5日に日本の長崎県佐世保基地を出航したプエブロ号は、対馬海峡で行動するソビエト海軍の潜水艦の探知と、北朝鮮による通信の傍受を命じられていた。
1月21日プエブロ号は4km近くをソ連製の駆潜艇が通過するのを探知し、翌22日には20mほど近くをトロール船2隻が通過した。
1月23日、プエブロ号は北朝鮮の駆潜艇に発見され、国籍を問われて星条旗を掲げた。駆潜艇は停船を要求し、プエブロ号は逃亡を図ったが水平線上に3隻の魚雷艇を発見し、さらに戦闘機と駆潜艇1隻、魚雷艇2隻が応援に急行。
駆潜艇の乗組員が乗り込もうとしたがプエブロ号はこれを回避し、なおも逃亡しようとした。これに対し駆潜艇が57mm機関砲でプエブロ号を銃撃するも装甲が厚く、余り効果はなかった。
しかし、2回目の砲撃で機関兵見習いの「デューン・ホッジス」が死亡し、駆潜艇から北朝鮮兵が乗り移りアメリカ兵を縛り上げ、後に目隠しをし、銃床で殴ったりして捕らえた。
日本の上瀬谷(神奈川県横浜市)にあるアメリカ海軍保安部は無線でこの事態を知ったが、韓国のアメリカ空軍群山基地の部隊は装備の問題から発信に手間取り、救援に駆けつけることができなかった。アメリカ本国では大統領「リンドン・ジョンソン」が事件を知ったのは乗組員が拘束された後であった。
拿捕後、乗組員は捕虜収容所で拷問を受け、艦長の「ロイド・M・ブッチャー」中佐も拷問され、スパイ行為を行ったと自白させるため「部下を目の前で処刑する」と脅された。そのためブッチャーは自白を承諾。北朝鮮側は彼自身の言葉で自白させたが、この時ブッチャーは「私は北朝鮮と、偉大な指導者金正成に感謝する」と言った際、「感謝する」の「paean」という単語を、「小便する」を意味する「pee」と発音した。しかし、英語に詳しい者のいなかった北朝鮮側は誰ひとりとして気付かなかった。
今日という日【1月22日】
■カレーの日
1982年1月22日。
全国学校栄養士協議会が学校給食開始35周年を記念して、1月22日の給食のメニューをカレーにすることが決められ、この日、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出された。
昔は給食ならではのメニューが多かったが、世代や地域によって思い出に相当の違いが見られる。戦後、アメリカで大量に残っていた小麦粉を日本に安く売り、それをパンにして提供し日本人の食文化に多大な影響を与えた。そして、高度経済成長を経て日本が豊かになるにつれてその内容は大きな変遷を遂げてきた。
1958年に脱脂粉乳が牛乳へ、1976年に米飯給食が開始、後にパンは週1回程度になり、ご飯が主食となり(日本人の食事の洋食化に伴い、米の生産量の増大と反比例して消費量が減り、余った古米、古古米の処理のため)、パンをクロワッサンに、汁物をトムヤムクンになど、従来あまりなじみのなかったメニューも供され、近年では普段の食事と変わりないかそれを上回るメニューが多く登場している。食物アレルギーを持つ児童生徒に対応した特別食を作る場合もある。