今日は何の日?【トリビアン】で雑学王 -189ページ目

今日という日【5月1日】

■アイルトン・セナ事故死

1994年5月1日。

アイルトン・セナ・ダ・シルバ」(1960年3月21日~1994年5月1日)は、ブラジル人のレーシングドライバー。F1世界選手権において、1988年、1990年、1991年と、計3度ワールドチャンピオンを獲得した。
母国ブラジルにおいて、サッカー選手のペレ、ジーコと並んで、特に偉大なスポーツ選手の1人とされている。イギリス「F1 Racing」誌においては、「史上最速のF1ドライバー」「史上最高のF1ドライバー」にともに1位で選出された。

時代を代表するドライバーの1人とされ、特に計65度のポールポジション獲得数は、2006年に「ミハエル・シューマッハ」に更新されるまで歴代1位だった。「アラン・プロスト」「ネルソン・ピケ」「ナイジェル・マンセル」とは、1980年代から1990年代前半のF1を象徴する存在として、「四強」「ビッグ4」「F1四天王」などと纏めて呼ばれることもある。特にプロストとはライバルとして知られ、日本では2人の争いが「セナ・プロ決選」「セナ・プロ対決」などと呼ばれた。

1994年第3戦サンマリノGPは、予選から重大事故が多発。まず予選1日目には、セナと親密な間柄であった同胞の「ルーベンス・バリチェロ」が大クラッシュを起こし病院に搬送された。結果的には鼻骨を骨折という軽傷であったものの、一時は安否を心配されるほどの大きな事故であった。そして翌4月30日の予選2日目には、ヴィルヌーブ・コーナーでクラッシュした「ローランド・ラッツェンバーガー」が死亡。グランプリ中の死亡事故は、F1では12年ぶりのことであった。これら一連のアクシデントの中でセナは心理的に不安定な状態となり、電話で恋人アドリアーナに「走りたくない」と話していたことが後に語られている。ただし、夜には落ち着きを取り戻していたという。

セナは開幕から3戦連続のポールポジションから決勝をスタートし、1コーナーでも首位をキープしたが、後方での事故によりセーフティーカーが導入される。そして再スタートが切られた後の7週目(現地時間14時17分)に超高速左コーナー「タンブレロ」において、時速312kmで走行中に、そのまま直進してコースアウトし、コース右脇のコンクリートウォールに激突(激突寸前、時速210km~220kmまで急減速していた)、セナが駆るマシンは大破。車載映像には、セナがシフトダウンしステアリングを左に切る映像が残っている。

セナはボローニャ大病院緊急搬送されたが、現地時間18時3分には脳死状態に陥り、事故発生から約4時間後の18時40分に死亡。享年34。

ゴールデンウィーク前半戦

『とりあえずの3連休』

ども!TK89です。
土曜日、昭和の日、振替休日と3連休。この3連休は案外サッサと終わった。サッサというか病み上がり、休養のための連休に指定。
熱はずっと平熱を保つようになったんだけど、相変わらず咳が止まらず、鼻づまり。咳するたびに肋骨に響き、痛みにだいぶ慣れてしまった。
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それでも飛石連休だけれども、大型連休。
土曜日の夜には、ちょうど1年前くらいに宮城県へボランティアに行った時に、一緒に動いた人との再会を果たした。その人は千葉の方で、ちょうど名古屋で別の予定があったため、その予定を済ませたあとに、飲み屋で合流。そして再開に乾杯。
その方は、今でも宮城県へ行きボランティア活動を続けているそう。東北地方のその後のことを最近めっきりTVなどで見なくなったが、ボランティアセンターがしっかり機能していた地域は、瓦礫の撤去などずいぶん進んだが、いまだに手付かずの地域もやはりあるようで、そこでの片づけや、松林の植林、仮説住宅に住んでる方への心のケアなどなど。
自分もミーハーな気持ちで宮城にボランティアへ行ったつもりはない。あれから1年以上が過ぎ、気にしてなければ気づかないことになりつつある。7月にまた東北の地へ行こうと思います。

翌、日曜日。本当ならばサッカーの試合。咳や鼻づまりだけなら行ってたけど、肋骨の痛みがあったためベンチ外。実家でゆっくり休養してましたとさ。

それにしても我が肋骨。早く治ってくれないものか。しっかり治して体鍛えなおして、7月にはまた東北の地へ。

と、思ってたらTVでGWをボランティア&観光ツアーで過ごすというプランが紹介された。なんだかイイナ。俺も頑張ろう。

チャオ!

4月30日の名言

失敗とは、

よりよい方法で再挑戦する

素晴らしい機会である。

ヘンリー・フォード