今日という日【6月8日】
■大鳴門橋開通記念日
1985年6月8日。
この日に「大鳴門橋」が開通したことを記念。
「大鳴門橋」は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋。
開通当初は橋上で鳴門の渦潮を見ようとするドライバーが後を絶たなかった。そのため橋上区間全体にわたって路側帯には「停駐車禁止 路側走行禁止」と標示されている。また、橋上には至る所にスピーカーが設置されていて、ドライバーに警告を発している。
主には本州~四国間を移動するための利用が大半であるが、淡路島南部(南あわじ市、洲本市)から徳島市や鳴門市へ買い物や通院等に行くため、徳島県から淡路島へ観光等に行くためにも少なからず利用されている。また、大阪方面から高速バスも多く運転されている。

1985年6月8日。
この日に「大鳴門橋」が開通したことを記念。
「大鳴門橋」は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋。
開通当初は橋上で鳴門の渦潮を見ようとするドライバーが後を絶たなかった。そのため橋上区間全体にわたって路側帯には「停駐車禁止 路側走行禁止」と標示されている。また、橋上には至る所にスピーカーが設置されていて、ドライバーに警告を発している。
主には本州~四国間を移動するための利用が大半であるが、淡路島南部(南あわじ市、洲本市)から徳島市や鳴門市へ買い物や通院等に行くため、徳島県から淡路島へ観光等に行くためにも少なからず利用されている。また、大阪方面から高速バスも多く運転されている。
今日という日【6月7日】
■第1回全国自動車競走大会開催
1936年6月7日。
「第1回全国自動車競争大会」には、日産自動車など戦前から自動車の工業的生産を行っていた大企業も参加したが、優勝したのは無名の町工場、「オオタ自動車工業」が手作業で組み上げた「オオタ号」であった。このレースには、後に「本田技研工業」を創設する「本田 宗一郎」も自製の「浜松号」で参戦したが、事故によりリタイアしている。
当日、スタンドからレースを観戦していた日産社長、「鮎川 義介」は敗北に激怒し、社員に号令をかけ3ヶ月後の第2回大会に雪辱を期したという話も伝わる。
やがて日中戦争の戦局悪化に伴い、自動車レース自体が縮小し、1937年5月16日を最後に、自動車レースは行われなくなった。

1936年6月7日。
「第1回全国自動車競争大会」には、日産自動車など戦前から自動車の工業的生産を行っていた大企業も参加したが、優勝したのは無名の町工場、「オオタ自動車工業」が手作業で組み上げた「オオタ号」であった。このレースには、後に「本田技研工業」を創設する「本田 宗一郎」も自製の「浜松号」で参戦したが、事故によりリタイアしている。
当日、スタンドからレースを観戦していた日産社長、「鮎川 義介」は敗北に激怒し、社員に号令をかけ3ヶ月後の第2回大会に雪辱を期したという話も伝わる。
やがて日中戦争の戦局悪化に伴い、自動車レース自体が縮小し、1937年5月16日を最後に、自動車レースは行われなくなった。