ここは太平洋戦争中の1943年から1945年の終戦の日まで当時の小中学生と教員の方々によって作られていた防空壕です。
戦時下の日本では大人は戦地へ出征していたため、人手不足となっていました。
そんな中、旧宮村国民学校の校長が子供達を守るために学校の裏に防空壕を作ることを発案し、先生方に指導された生徒たちが一丸となってこの防空壕を掘り始めました。
中はとても精巧かつ機能的に作られていて、教壇の後はスクリーンとなっており、映画も見られたそうです。そして大事な避難道の外は裏山と繋がっていて、ここが開通した際には全員で喜びあったそうです。
いくら柔らかい石質だったとはいえ、小さな体でツルハシを手にこれを作ったことにはとても驚かされます。
無窮とは限りのないと言う意味ですが、この洞窟はまさに窮屈のない完成度と言えるのではないでしょうか。
そして、ここを作った方々を思うと、道徳心の高さや、相手への思いやりの強さがよく分かります。現代のようにネット上だけの繋がりや架空の存在ではなく、その道徳心や思いやりの行動が防空壕というカタチとして今日までここに残っているように感じます。時代が違うと言えばその通りですが、架空のものを拠り所にしてこの防空壕が作れるとは思えません。
戦後はアメリカ的な合理主義と個人主義、物質的価値ばかりを求めようとする自分を含めた現代人に、同じく一致団結することが出来るのだろうかと思い、そういった面からも考えさせられる遺産だと思いました。