ここは、かつて東洋一を誇った大日本帝国陸軍の飛行場があり、その跡地に建てられた町立の平和記念館です。
記念館の中には、奇抜な設計で少ないながらも名機を産んだ九州飛行機の設計した局地戦闘機である震電の精巧な実物大模型があります。
この戦闘機は対爆撃機に特化した設計となっていましたが、大戦中の量産には間に合わず、現存するものはアメリカに1機あるのみなので、まさに幻の機体と言えるでしょう。
この機体を見ていると将来的にジェットエンジンを搭載し、先の大戦に間に合えば、どんな活躍を見せてくれたのだろうかと想像してしまいます。他にも陸軍機で最も多く特攻機に転用された九七式戦闘機と海軍機の零式艦上戦闘機三二型が展示されていますが、こちらはどちらも実際に使用された機体であり、現存するものは世界に唯一の貴重な機体です。
2階には米軍爆撃機、B29と日本軍邀撃機、屠龍の実物大シルエットがあり、その大きさと工業力の差を感じることが出来ます。
大刀洗飛行場は飛行第4連隊が駐屯し、最盛期には日本最大の航空部隊となりました。その後、1940年には大刀洗陸軍飛行学校が開校し、太平洋戦争時には陸軍パイロットの三分の二をこちらから輩出しました。
大戦末期の特攻隊基地として有名な知覧もこの本校の分校です。当時から少年達の憧れの存在であった飛行兵を目指し、全国から約24万人もの入学生がこの狭き門を叩きましたが、その適正を突破できたのは約2万4000名ほどの英才達だけでした。
大戦末期には大刀洗飛行場を中継基地として多くの特攻隊員を見送り、また、ここからも直接特攻隊が出撃して征きました。
この平和記念館には、大戦末期の空襲により、その機能を喪失するまで、軍都として栄え、町が形成された大刀洗の歴史と戦争の爪跡や先人達への感謝の思いを後世に伝えています。
南冥の空と北辺の孤島に散った多くの英霊を忘れないことで、遠からず現在の世界情勢や日本国の現状を比較し、あらゆる側面から危機感を持つきっかけとなる場所ではないでしょうか。
聞くことと、見ることでは感じとるイメージが全く変わります。この記念館を見ることで、戦争が始まればどういった惨劇を生むのか、先人達の犠牲から学び、活かしていきたいと思いました。