戦争とは絶対悪の存在です。
自分を戦場の当事者に置き換えれば、それを否定する人は居ませんし、世界中の誰しもがそう思う筈です。
ただ、この言葉の裏には「平和」という2文字が隠れていますが、戦後の日本では戦争を絶対悪とすることで、それを学ぼうとせず、むしろ忘れようとした結果、現在は平和すら忘れようとしています。
戦争と平和は表裏一体であり、古代ローマのことわざに「平和を望むなら戦争に備えよ」とあるように、この二つは切っても切り離せない存在です。
現在、平和慣れした日本はそれを忘れ、絶対悪である以上、戦争を知らなくてもいいと思ってしまっています。だからこそ自国の戦間期の歴史や戦地で亡くなった英霊もあまり知ろうとしません。それは絶対悪である戦争に関わることだからです。表現は不適切かも知れませんが、ある意味で戦争との距離感が生まれ、国民から親近感が無くなってしまいました。
しかし、それら知ろうとしなければ平和であることが当たり前に感じてしまい、現状の平和とそれを維持するための課題も見えてこなくなってしまうことでしょう。
日本国民がそういったことから関心が無くなると、当然、政治家や自衛官にもその流れが波及していき、国防への危機感が薄くなってしまいます。
日本の政治家を批判する気持ちも分かりますが、彼らは民主主義である以上、国民が関心を持つ部分に耳を傾け注力していくため、国民自体にそういったことへの関心が無くなれば、政治家にも前述した結果が広がってしまいます。
また、自衛官にしても同じで、国民にそういったことへの関心や、歴史から得られる知識と、それに伴った有事の際の戦意が無くなれば、自衛官の士気は低くなってしまいますし、国民の支持を得られない軍隊は勝てる戦争でも負けてしまいます。ベトナム戦争やアフガニスタンでも、圧倒的な戦力差がありながら、国民の支持を得られないために各国は敗れてしまいました。
このように過去の歴史をみても国民の支持を得られない軍隊は、十分な力を発揮できないことが証明されていますし、それが民主主義国家であれば尚更です。
どんなに科学技術が進歩しても、戦っているのは昔と変わらない人間なので、その特性上、こういった精神的な部分も勝利への大きな要因となり、それを甘くみてはいけません。
そのため、国民は広い視点から自分達の関心が政治家や自衛官にも影響を与えることを自覚し、他人事と捉えずに彼らの存在をもっと身近に感じるべきではないでしょうか。
戦意で言えば、平時であっても日本が国民に兵役期間を義務化にすれば、実際に尖閣諸島や北海道を防衛する最前線を意識することができ、そういったことへの関心と危機感も覚えることが出来たかも知れませんが、今更そんな法律を制定することは内外からの反発を受け、不可能に近いでしょう。
今、我々に出来ることはそういった最前線の現実を知り、対策を考えることですが、「最前線の現実を知りたい」という気持ちすらも、前述の関心がなければ感じません。
そのため、関心へのプロセスとして歴史を学ぶことが大切ですし、終戦記念日や広島・長崎への原爆投下が起きた日を、亡くなった多くの方々の御霊を忘れてはいけません。