こちらには、太平洋戦争を戦った帝国海軍の提督の中で最も有名な海軍元帥である山本五十六連合艦隊司令長官の貴重な資料が見られます。
当時、山本司令長官はガダルカナル島やニューギニア島の敵基地への空襲作戦を立案し、大方その作戦は成功していました。そのため、前線の将兵の労を労うためにと1943年4月18日に一式陸攻に搭乗し、ラバウルからバラレに飛行する計画を立案しました。この計画に対し、前線の幹部からは護衛機を50機は付けるようにとの意見が出ましたが、それが反映されることはありませんでした。一方、その計画を傍受したアメリカ軍はこれを撃墜するために長い航続距離を要する陸軍のP38戦闘機を18機(実戦に参加したのは16機)用意し、そのパイロット達にはエースパイロットを要する精鋭を手配しました。そして、山本司令長官は計画通りにラバウルから離陸すると護衛の零戦6機も次々と離陸してゆきました。護衛の零戦隊も百戦錬磨の精鋭達であり、その中には後に70機の敵機を撃墜したエースパイロットも含まれており、結果として両軍ともに強力なパイロット達が衝突することとなりました。護衛の零戦隊は司令長官を守るために獅子奮迅の活躍をしましたが、6機で12機を相手しなければならず、敵機を撃墜もしましたが、逃れた4機が司令長官機を撃墜し山本司令長官を守ることは叶いませんでした。護衛機6機は損失無く帰還しましたが、彼らの心境を思うとさぞかし悔しかったことでしょう。アメリカ軍からしてみれば、真珠湾での恨みを晴らし、日本国内で人気のある山本司令長官の戦死により、日本国民に精神的な圧力を与えることができました。山本司令長官はその後国葬されますが、皇族以外の国葬は戦前では唯一の事例となりました。常に戦場に身を置いた山本司令長官の最期は、人の上に立つ者として立派な最期だったのではないでしょうか。