こちらには魚雷の特攻兵器として有名な回天の貴重な資料が展示され、記念館の周りには練習施設や観測所が今も残されています。

 戦況の悪化する大戦末期の帝国海軍では、飛行機や船舶に爆弾を積み敵艦に体当たりを行う特攻兵器が数多く開発されましたが、回天は魚雷に人間を乗せて操縦する特攻兵器でした。しかし、飛行機や船舶はすでに母体となる乗り物が完成され、それに爆弾を積めばいいのですが、魚雷自体を人が操縦することは前代未聞であり、回天の開発は試行錯誤の連続でした。また回天が完成してもその操縦訓練など誰もやったことがないため、手探りの状態から始まり、訓練中の事故も多く、殉職者も後を絶えませんでした。さらに、回天の操縦はとても難しく、この兵器の特性上、一度出撃すると引き返すことが出来ないため、瞬時の判断で敵艦との距離や速度を判断し、突入進路を決断する瞬発力が必要であり、その訓練は困難を極めました。それでもなおこの兵器で戦局を挽回し、国を救わんとする決死の覚悟を持った若者の多くが全国から志願し、各地で戦死されました。生き残った方の証言では、自分こそが国を救ってみせるという使命感に燃え、軍に入った時点で覚悟は出来ていたので、必死の兵器であるということはそこまで重く感じなかったそうです。また、悲しいことも楽しいことも回天の訓練で感じたことであり、この時期の自分こそ強い使命感のある人生の中でもっとも充実した時間であったと振り返る方もいらっしゃいました。現在の平和な日本国に生まれれば同じ心境にたどり着くことは難しいと思います。しかし、現在の自衛隊員の中にも既に遺書を書き日々の訓練を行っている方もいます。そうした方々がいることを思えば生きた時代は関係なく、同じ状況になれば同じ境地にたどり着くのではないでしょうか。戦争が始まってしまった状況ではこの無謀な戦争に突入したことを批判し、なぜ止めることが出来なかったのかを議論する時間は当時の方々にありません。また、特攻兵器が人道上誤った兵器であることは理解していますが、国家存亡の危機が迫り、資源の枯渇した当時の大日本帝国でこれ以上の武器を開発することもできませんでした。例えば、あなたが仮に大切な家族と山の中にいて、家族が目の前で羆に襲われてしまったとします。まずその時点で、どうして羆のいる可能性がある山に来てしまったんだろうと考える時間がないことは明白です。が、幸いにもあなたの手元にはナタなどの武器となる刃物はあったとしましょう。その場合、あなたは自分の命を顧みず羆と戦いますか?答えは人それぞれだと思いますが、回天の搭乗員はその武器が必死のものであっても戦うことを選択しました。そこに戦う武器があれば躊躇いなく使用する。確かに刃物は必死の武器ではありません。ですが、あなたも羆と戦うことを選択したのであれば、迫る脅威の中で一途に国とその国民を守ろうとした当時の兵士たちの行動も少し理解できるのではないでしょうか。

 このように一度戦争が始まってしまえば、もう後戻りすることは出来ず、現在でも同じ状況になれば、そこに人道を考慮する余裕は無くなります。現在の日本国を見ていると自ら武器を捨て戦争は起きないという理想ばかりが先行しているように感じます。仮にそれが理由で国が亡くなれば先人の犠牲は何だったのでしょうか?彼らが後世に託した日本国を易々と手放してはいけません。また、彼らは命を軽んじていた訳ではなく誰かのためにとその命を使いました。それは自分の家族であり、恋人であり、今を生きる我々のことを思い亡くなっていったのです。この世に生まれ、その命をどう使うのかをこの記念館に訪れ考えさせられました。